嘉納治五郎 [柔道家・教育者] ![]() |
1860年12月10日生・1938年5月4日没 柔道の創始者として有名なほか、東京高等師範学校(現在の筑波大学)校長などを務めたほか、嘉納自身が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」を校是とした旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)の設立にも関わるなど教育者としても力を注いだ。また、1909年(明治42年)に日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となるなど日本のスポーツ界の発展にも貢献している。 (5区1種5側13番) |
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レオニード・クロイツァー [音楽家] ![]() |
1953年10月30日没。 ドイツと日本でピアニスト・指揮者として活躍した音楽家。1933年2度目の来日をした後、東京音楽学校(現東京芸術大学)教授をつとめた。 世界的指揮者となった小澤征爾は、日比谷公会堂でクロイツァーがピアノを弾きながら「皇帝」を指揮したのを見て、指揮者になる決心をしたと言われている。 元門下生でのちに妻となった豊子と共に、八柱霊園に眠っている。 (2区1種10側13番) |
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西條八十 [詩人] ![]() |
1892年(明治25年)1月15日東京都牛込区生、1970年(昭和45年)8月12日)没。 詩人として有名ながら、「東京行進曲」、今なお歌い継がれる藤山一郎の「青い山脈」、村田英雄の「王将」など、数多くのヒット歌謡曲で作詞を手掛けているほか、童謡「肩たたき」(母さん お肩をたたきましょう タントンタントン・・・)、「ズイズイズッコロ橋」など、誰もが知っている歌を作詞した童謡作家でもあった。 文学者らしく、本を広げた形をした墓石が一際目を引くお墓である。 (2区1種1側13番) |
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土門拳 [写真家] ![]() |
1909年(明治42年)10月25日山形県酒田町生まれ、1990年(平成2年)9月15日没。 戦後昭和時代を代表する世界的日本人写真家の一人。もともと報道写真がであったが、「社会的リアリズム」を標榜し、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財んに関する作品を多く残した。 リアリズムに極限までこだわり、「鬼の土門」と呼ばれていたという。 (21区1種3側4番) |
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山之口貘(山口重三郎) [詩人] ![]() |
1903年(明治36年)9月11日沖縄県那覇区生まれ、1963年(昭和38年)7月19 日没。 著名な詩人であるにもかかわらず、生前に出した詩集はわずかに3編。一生を試作にささげたものの、一編の詩を書くのに200~300枚もの原稿用紙を使って推敲を重ねるほどであり、一編の詩をつくるのに四年もかかることさえあったという。 青年期に父が事業で失敗して以降、死ぬまで貧乏だったが、いつも明るく心豊かで友人も多く、周りの人たちは彼を「精神の貴族」と呼んでいたという。 (8区108側38番) |
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杉村楚人冠 [文人] ![]() |
明治5年7月25日(1872年8月28日)和歌山県和歌山市生まれ 昭和20年(1945年)10月3日)没。 本名は杉村 廣太郎。 英吉利法律学校(のちの中央大学)、国民英学会を卒業。英語に堪能で、1891年、19歳の若さで和歌山新報主筆に就任する。 その後、教職や在日アメリカ公使館の通訳を経て、1903年に東京朝日新聞(後の朝日新聞社)に入社、新聞記者として活躍、独特の皮肉とユーモアにあふれた文章で人気を博した。 関東大震災後は我孫子に移り住み、その屋敷は現在「杉村楚人冠記念館」として公開されている。 筆名の「楚人冠」は、「史記」にある「人の言はく、『楚人は沐猴(もっこう)にして冠するのみ』と。果たして然り」(人は『項羽は冠をかぶった猿に過ぎない』と言うが、まさにその通りだ)という故事から取ったもの。 (4区1種4側6番) |
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神吉晴夫 [出版] ![]() |
1901年(明治34年)2月15日兵庫県加古川市西神吉町生まれ、 1977年(昭和52年)1月24日没。 昭和2年に講談社に入社、昭和20年光文社創立に参加し出版局長として活躍、昭和36年社長となった。社長辞任後はかんき出版を創業したが、まもなく死去した。 著者の原稿を一字一句そのまま出版していた時代において、「編集者が企画を立て、適切な著者を探し原稿の完成まで苦労を共にする。そして宣伝により読者人口を開発する」という現在では当たり前となった手法を確立し、戦後最大の出版プロデューサーとも言われている。 八柱霊園の墓所には、妻の「十世(とよ)」と共に眠っている。 (21区2側8番) |
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田久保英夫 [作家] ![]() |
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辻 征夫 [詩人] ![]() |
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花田清輝 [作家] ![]() |
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日沼倫太郎(生沼正三) [文学評論家] ![]() |
(28区49側26番) | ![]() |
大村能章 [作曲家] ![]() |
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千葉さな子 [剣術家] ![]() |
1838年3月31日北辰一刀流桶町千葉道場主・千葉定吉の二女として生まれ、明治29年(1896年)10月15日没。 坂本龍馬の婚約者であったことで有名。剣術に優れ、また美貌でもあり「千葉の鬼小町」「小千葉小町」と呼ばれた。父定吉の道場で剣術を学んでいた江戸遊学中の龍馬と婚約したと言われるが、江戸遊学を終えて土佐に戻った龍馬とはそのまま疎遠になり、龍馬はお龍と結婚してしまう。さな子はその後千住で鍼灸院を開き、59歳のときこの地で死去した。 死後谷中墓地に埋葬されるが、その後無縁墓となってしまったため、八柱霊園の谷中霊園無縁塚に改葬された。 山梨県甲府市の清運寺にある墓は、自由民権家小田切謙明の豊次夫人が晩年のさな子と懇意にしており、さな子が無縁仏になるのを不憫に思い建てたものと言われる。 (谷中霊園無縁塚) ☆現在は改葬されています。 龍馬の婚約者千葉さな子、改葬へ |
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松山恵子(岡崎恒好) [歌手] |
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三宅久之 [政治評論家] |
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