故郷に戻ることができなかった近代日本建国の父大久保利通の墓(政治家・1878年5月14日没・青山霊園)

明治政府の設立、日本の近代化に大きく貢献し、維新の三傑と呼ばれた政治家大久保利通は、1878年(明治11年)東京紀尾井坂にて士族に暗殺され、その生涯を閉じました。享年満47歳。

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大久保利通
出典:ndl.go.jp/portrait/

1830年に薩摩藩にて生まれた利通は、島津久光のもとで公武合体運動を推進、やがて討幕へと転じ薩長連合を成立させる一方、岩倉具視らと結んで慶応3年(1867)12月、王政復古のクーデターを敢行。版籍奉還や廃藩置県を推進し、新政府の基礎を固めました。
新政府では内政整備を主張し、征韓派参議を下野させるとともに、参議兼内務卿となり、政権を掌握。地租改正、殖産興業の推進など、重要施策を実行した。西南戦争では、盟友の西郷隆盛と戦うなど数々の困難を乗り越えて明治政府の基盤を築きあげたものの、士族の反発を招いたことが、暗殺につながったと言われています。

青山霊園でも随一の威容を誇る利通の墓

利通のお墓は都立青山霊園の北東のエリア、南北の大通りから少し東側に入ったところにあります。
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入口にはなんと鳥居が設けられています。お墓というよりも、青山霊園の一角に設けられた神社といった風情です。

写真で見える鳥居の先の正面に見えるのが、利通のお墓です。

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3メートル近くあろうかという大きな墓石には、はっきりと「大久保公」の文字が刻まれています。

墓石のそばには、青銅色の石で作られた碑文も建てられています。
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こちらにも、「右大臣従弌位大久保公」の文字が見えます。
肝腎の碑文はすべて漢字で書かれており、すべて解読するのはかなり難しいですが、「明治11年大久保公が亡くなり、天皇陛下が震撼した」というくだりで始まっていますね。大久保公の生前の功績などが記されているものと思われます。

この写真をご覧になっても分かるように、大久保公のお墓は森のような緑に囲まれており、青山霊園の中でもかなり立派に祀られているお墓の一つです。さすがは維新の三傑の面目躍如といったところでしょうか。

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平日でも、訪れる人は後が絶ちません。

故郷の薩摩に戻れなかった利通

大久保利通は、明治政府設立以降、士族たちと対立し、同じ薩摩出身の西郷隆盛とは戦争まで行って最後は死に至らしめているため、特に西郷どんを敬愛する薩摩人たちからは嫌われ、死後も生まれた鹿児島に戻ることができず、ここ青山霊園に葬られたと言われています。

利通は明治初期に暗殺されてしまいましたが、その遺志は多くの同志・後輩たちに引き継がれ、日本は近代国家として急成長し、先進国と肩を並べるまでになりました。
その功績は、明治時代は元より現在に至っても大きく評価されています。
ここ青山霊園の立派な墓所からも、往時の大久保利通公の活躍ぶりが伺えます。

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