おんな城主直虎が守った井伊家 ~お墓は招き猫発祥の豪徳寺

 2017年のNHK大河ドラマは、柴咲コウ主演の「おんな城主 直虎」。
 当時でもかなり珍しい女性領主として戦国時代を生き抜き、後に江戸幕府の重臣となった井伊家を残した、「井伊直虎(いいなおとら)」の物語だ。

 井伊家と言えば、幕末に江戸幕府大老として権勢を振るうも桜田門外の変で暗殺された「井伊直弼(なおすけ)」が一番有名かも知れない。
 しかし、戦国好きであれば、徳川家康の配下で「徳川四天王」の一人にも数えられた名将「井伊直政(なおまさ)」の名を知らぬ人はいないだろう。直政の兵はみな赤色の軍装をしその勇壮な戦いぶりから「井伊の赤備え」と恐れられた。外交・政治手腕にも優れた直政は、関ヶ原合戦後近江国佐和山(現在の彦根市)に封じられ、江戸時代末まで続いた彦根藩の礎を築いたのである。

井伊直政像
井伊直政像
(Wikipediaより)

 その直政は、もともと三河国井伊谷(現在の静岡県浜松市(旧引佐町))の出身。
 代々井伊谷の領主であった井伊家だが、直政がわずか2歳のとき、直政の父であり当主であった直親が暗殺されてしまったため、井伊家の血を継ぐ者は幼少の直政のほかには、井伊家の菩提寺でもある龍潭寺の住職となっていた南溪和尚と、同じく出家して尼僧となっていた次郎法師のみとなってしまったのである。
 そこで、先々代当主直盛の妻と南溪和尚が相談し、直盛の娘次郎法師を還俗させ女性領主とした。その次郎法師こそが井伊直虎なのである。

 直虎は領主として井伊谷をよく守り、1575年には15歳になった直政を徳川家康に出仕させた。直政は家康に取り立てられ、井伊谷の領有も認められた。
 その後、武田氏との戦いなどで数々の戦功を上げ順調に出世していった直政を見届けると、1582年直虎は死去する。
 直虎の生涯については史料が乏しく分からないことも多く、直政の父である直親の許嫁であったともされるがその真偽も定かではない。しかし、今川・武田・織田などの大勢力の争いに巻き込まれ滅亡寸前であった井伊家を守り抜き、直政を無事育て上げてバトンを渡した、優れた領主であったことは間違いないようだ。

 大河ドラマでは、女領主の井伊直虎を柴咲コウ、父直盛を杉本哲太、母(直盛の妻)を財前直見、直親を三浦春馬、南渓和尚を小林薫、井伊直政を菅田将暉が演じる。
(その他出演者:春風亭昇太(今川義元)、尾上松也(今川氏真)、阿部サダヲ(徳川家康)、菜々緒(家康の正妻築山殿)、市原隼人(龍譚寺の僧)ほか)

井伊直虎(遠州の古刹 龍潭寺のホームページより)

地元の菩提寺である龍潭寺と江戸の菩提寺豪徳寺

 井伊家の菩提寺は、先にも述べた三河国井伊谷の龍潭寺(りょうたんじ)であり、井伊家初代当主共保より、直盛、直親、直虎、直政までの代々当主の墓が今でも残っている。

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龍潭寺山門

 初代共保の生まれは西暦1010年というから、なんと今から千年以上も前である。そこから明治維新まで900年近く、井伊家に守られ、そして井伊家を守ってきた土地柄なのである。なお、今でも「井伊谷」という地名は残っており、住所のほか、川や小学校の名前にもそれを見ることができる。

井伊家の歴史(龍潭寺ホームページより)

 一方江戸時代に入ってからの当主となる、近江彦根藩第2代藩主直孝(直政の子)以降の当主については、墓所は江戸の豪徳寺となった。
 現在の東京都世田谷区、小田急線豪徳寺駅から程近くに建っている豪徳寺である。

 井伊直孝が鷹狩に出た帰り、小さな貧しい寺の前を通りかかると、中に入るよう手招きする猫がいたためその寺に入った。すると辺りは突然雷雨となった。雨宿りをしながら寺の和尚と話をしているうちに、直孝は和尚と親しくなった。この寺は、後に寄進を受け立派に改築されて井伊家の菩提寺とされ、直孝の法名にちなんで豪徳寺と号したという。
 その寺では、猫の手招きが寺の隆盛のきっかけになったことから「福を招き縁起がいい」として、招猫堂を立てて祀るようになった。
 
 今でも招猫堂の周囲には溢れんばかりの招き猫が奉納されており、豪徳寺の名物となっている。

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豪徳寺に奉納された招き猫

 その招猫堂の奥には、豪徳寺の墓所が広がっており、一番奥に井伊家の墓所が設けられている。桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓もある。これら井伊家の墓所は、江戸時代の大名文化を伝える貴重なものだとして東京都の史跡にも指定されており、今でもお墓参りに来る歴史ファンも多い。

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大老井伊直弼の墓

 直虎、そして直政がつなぎ紡いできた歴史は今も東京に残り、人々の憩いの場所となっている。

大谿山 豪徳寺
 
 
[追記] 
 なお、京都市の井伊美術館は、2016年12月14日、自らが所蔵する古文書に井伊直虎が男性だったことを示す記述があることを発見したと発表している。
 井伊美術館の館長で井伊家の直系子孫でもある井伊達夫氏は、以前より井伊直虎は男だった可能性が高いという指摘はしていたが、今回の古文書の発見はさらにその説を裏付ける有力な手掛かりとなるようだ。
 井伊氏によれば、当主となった「井伊次郎」と女性である「次郎法師」はそもそも別人であり、近年になって両者が混同された可能性がある、ということだ。

 直虎女性説、男性説、いずれも根拠の資料は江戸時代中期ごろのもの、「女性領主」の方が人々の好奇心をくすぐるものであることは間違いないのだが、その曖昧な伝承こそが人々の興味を誘って止まないのかもしれない。
井伊美術館公式サイト