先日青山霊園を訪れたところ、霊園の一角のかなり広い区画で、解体工事と思しき工事が行われていました。

樹齢もかなりのものだと思われる木々に囲まれた場所で、名家のお墓があったような…気がして手元の資料を調べたところ、ここは鍋島直大(なべしまなおひろ)侯(1846~1921)のお墓があったところでした。
歴史好きな方は「鍋島」の名字でピンときたでしょうか、そう、鍋島と言えば、戦国時代肥前竜造寺氏に仕え名将と謳われた鍋島直茂(なおしげ)が思い浮かびます。鍋島直大はその子孫で佐賀藩第11代藩主、戊辰戦争で活躍し明治維新後は佐賀知藩事、イタリア王国特命全権公、元老院議官、貴族院議員などを歴任、日本の近代化を牽引した一人であります。

出典:Wikipedia
1884年には鍋島家当主として37才の若さで侯爵に叙せられ、家柄も明治政府内での地位もかなり高かったことが伺えます。
青山霊園の墓所もそれを象徴するように、霊園でも一、二を争う大きな敷地を持つ立派なお墓でした。
青山通りに近い正門から霊園に入ると、正面やや左側に森かと見まごう場所が見えますが、正にそこが鍋島家の墓所。約30m四方にも及ぶ墓所は、高い木々に囲まれています。何せ入口には鳥居が建っており、たたずまいはお墓というよりもはや神社と言った方が近いでしょうか。その中は森に迷い込んだかのようであり、東京とは思えぬな静かな空気が広がっていました。石が並べられた通路の奥には、意外にも質素なお墓が建てられていました。それが鍋島直大侯のお墓です。

ドーム型に葺石が並べられた神式墳墓の横に、「従一位勲一等侯爵鍋島直大卿之墓」の文字が刻まれた石碑が建てられています。

また、おなじ敷地には、直大の長男である直映(なおみつ)、叔父文武(ふみたけ)の墓碑も建てられていました。
ご覧の通りの森の中にあったため、晴れた日は写真が悉く逆光になってしまう、なかなかカメラマン泣かせな場所ですが、残念ながら私の手元に残っている写真はこれだけ…。
改葬されると知っていればもっとしっかりお参りして目にも写真にも焼き付けていたであろうことが悔やまれます。
こちらのお墓については、佐賀県立佐賀城本丸歴史館様が運営するこちらのサイト「佐賀偉人伝」で詳しく紹介されていますので、ご覧ください。
東京での墓じまい、そして故郷佐賀へ
さて、取り壊されてしまった鍋島直大のお墓ですが、直大侯たちは鍋島家の故郷である佐賀県佐賀市の春日山のお墓に改葬されるそうです。こちらには直大侯の父直正(鍋島閑叟)をはじめとする鍋島家のお墓があり、直大は1世紀の時を経て里帰りすることになったわけです。
改葬になった事について、旧佐賀藩主鍋島家の歴史資料管理などをする公益財団法人鍋島報效会(ほうこうかい)のご担当にお話を伺うことができました。
お話によると、明治維新で鍋島家の拠点が東京に移ったため直大、直映は青山霊園にお墓が設けられたものの、その子直泰は遺言により佐賀に葬られ、以降の代もお墓は佐賀に設けられたとのこと、青山霊園のお墓は鍋島家と報效会で管理をしていたがなかなかお参りもできないためこのほどお墓を佐賀に移すことになった、ということでした。
せっかくの立派なお墓を取り壊すのはもったいない気もしますが、家のお墓が地元になくお参りもできないため墓じまいをして近くに移したい、という昨今よくある問題は一般市民だけでなく元侯爵家も同じだったということですね。下世話な話ではありますが、都立霊園の管理料は㎡単価が決められており、そこから推測するに鍋島家の墓所も年間50~60万円程度の管理料が発生していたと思われ、元侯爵家とはいえ今は一般の方である家にとっては軽くない負担となっていたことでしょう。
ちなみに鍋島家の現在のご当主は、直大から4代数えた15代目の直晶(なおあき)氏。現在は鍋島報效会の理事長をされています。過去には、佐賀県人のための学生寮の運営などをしていた「松濤学舎」の総裁を務められるなど、佐賀のためにご活躍されています。
その直晶氏は、鍋島報效会の創立75周年記念祝賀会の挨拶で「祖父直泰の教えを守って(鍋島家の)財産が散在しないようにしてきた。」と述べられており、青山霊園の改葬もその一環だったのかも知れません。
結果として、青山霊園の歴史ある一角は残念ながら失われることとなりました。墓所は間もなく東京都に返還されるということですので、墓地区画の再整備が行われるかもしれません。
願わくば、この豊かな木々は少しでも残してもらえるといいのですが、それもかなわぬ願いでしょうか。
なお、直大が改葬される佐賀市の春日山は、鍋島直正のお墓がある春日御墓所として知られており、ここには直大の遺髪が埋葬されたお墓がすでに建てられていますが、今回お墓がようやく鍋島家の墓所にまとめられます。また、青山霊園から墓碑などの一部も移送されるとのこと(鍋島報效会ご担当)、また改めて伺ってみたいと思います。
佐賀に移られる直大侯はじめ鍋島家の皆様方、地元でどうか安らかにお眠りください。
元鍋島家墓所と鍋島家ゆかりのお墓
鍋島家の墓所だった場所のすぐ隣にはこちらもうっそうとした森のような一角がありますが、こちらは、佐賀県のお隣筑前福岡藩第12代藩主黒田長知、そうあの軍師官兵衛の黒田家の墓所です。長知の娘禎子は直大の息子直映と結婚しており、鍋島家と黒田家は姻戚ということになります。こちら黒田家の墓所も鍋島家の元墓所区画とほぼ同じという大きな区画に、立派な墓碑が建てられています。

はす向かいにはあの維新の三傑大久保利通のお墓もあり、こちらもまたかなり立派なものです。
また、佐賀藩(肥前藩)は、明治維新の主役となった「薩長土肥」の一角であり、明治政府の要人を数多く輩出しています。なかでも、「佐賀の七賢人」と称された直大の父である鍋島直正(閑叟)を筆頭にした7人がいますが、そのうち佐野常民、副島種臣、大木喬任の3人は青山霊園にお墓があります。
九州から東京に乗り込み新政府を打ち立て、近代日本を築いた人たちの夢が、青山霊園には眠っています。一度訪れてみてはいかがでしょうか。

青山霊園・都立霊園の墓じまいをしたいときの手続が3分でわかる