軍師官兵衛の子 黒田長政の墓(戦国武将・1623年8月29日没)


2014年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。岡田准一演じる戦国武将随一の切れ者黒田官兵衛(如水)に魅了された方も多いでしょう。
その軍師官兵衛で、官兵衛の息子として登場したのが松坂桃李演じる「黒田長政(くろだながまさ)」。黒田長政も、武勇に優れ、かつ父官兵衛に劣らぬ切れ者でもあり、筑前福岡の領主として、現在にまで続く福岡の街の繁栄を築き上げた名将です。
「福岡」という地名も江戸時代になって黒田親子が福岡に移封された際、自分たちの出自である備前福岡の名前を取って名付けたというのは有名な話です。

その黒田長政は、元和9年8月4日(現在の暦に直すと1623年8月29日)、京都上京区報恩寺の客殿寝所で、56歳の生涯を終えました。
長政の墓所は、東京都渋谷区広尾の祥雲寺に建てられています。

祥雲寺入口

祥雲寺は、東京メトロ日比谷線の広尾駅を降り、広尾商店街を西に進んで約5分、商店街の突き当たりにあります。
黒田長政の子である筑前福岡藩主黒田忠之が、黒田藩赤坂江戸中屋敷内に長政を弔うために祥雲寺を建立し、後に火災などもあり、現在の広尾に移転されました。

長政は徳川家康の養女を側室として迎えたため徳川家とは姻戚関係になり、松平家の家名を与えられるなど、外様大名としては格別の扱いを受けていたようです。
このような将軍家との深い関わりもあり、江戸から目黒方面へ向かう江戸の街の出口に立地していた祥雲寺は、将軍が鷹狩などに行く際、よく訪れたようです。

江戸時代からのお墓が受け継がれる祥雲寺

祥雲寺本堂

そんな江戸時代からの歴史を誇る祥雲寺には、黒田長政のお墓の他にも、江戸諸大名の墓や、江戸時代の医師である曲直瀬玄朔(まなせげんさく)およびその一門のお墓など、400年近く前のものであろうお墓もたくさん残っています。

曲直瀬玄朔の墓

黒田家の墓所は、祥雲寺の墓地を奥に進んだ右手にあります。

そこは、笠をかぶせたような形で、高さは2メートル近くあろうかという墓石が数十塔建ち並ぶ壮観な一角です。
墓石はやや黒ずみ、彫刻された字も薄くなってはいますが、それらがまた何百年という歴史を物語っています。
黒田家本家、分家など、数多くの黒田家の人々がここに眠っています。

黒田長政のお墓は、その一角のさらに奥に独立した区画が設けられており、門をくぐったその奥のお堂の中に建てられています。

長政のお墓は渋谷区の史蹟に指定されており、入口にはその表示も立っています。

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このお堂の中に、5~6メートルはあろうかという大きな墓石が建立されています。
有名人・偉人のお墓は数多くあれど、お墓の為にお堂が建てられているという例はかなり珍しいのではないでしょうか。


長年の風雨も凌いでこれたためか、墓石に刻まれた金色の文字は、21世紀の今もはっきりきれいな姿を保っています。

長政の父官兵衛は、常に天下取りを狙っていたとも言われるいわゆる曲者でしたが、長政は関ヶ原の戦いでおおきな戦果を挙げて徳川家康を勝利に導き、その後も徳川家に忠実に仕え、江戸城築城の際の天守台や日光東照宮の石の大鳥居の建築を任されるなど、江戸幕府の重臣として活躍しました。

そんな黒田家の繁栄の跡を、ここ祥雲寺で感じてみてはいかがでしょうか。