坂本龍馬の婚約者である千葉さな子が、没後120年を迎えるのを機に、千葉家ゆかりの寺、東京都練馬区の仁寿院へ改葬されることになったそうだ。
千葉さな子は1838年3月31日北辰一刀流桶町千葉道場主・千葉定吉の二女として生まれた。坂本龍馬の婚約者であり、美貌で剣術にも優れ「千葉の鬼小町」などの異名を取った。父定吉の道場で剣術を学んでいた龍馬と婚約したが、その後土佐に戻った龍馬とはそのまま疎遠になり、龍馬はお龍と結婚してしまった。さな子は生涯独身を通し、晩年は千住で鍼灸院を開いていたが店の評判も良かったそうだ。(なお、2010年に、元鳥取藩士・山口菊次郎と明治7年に結婚しその後離婚したとする新聞記事が発見され、生涯独身だったという説には疑問符もついている。)
明治29年(1896年)10月15日、59歳で死去、今年で亡くなってから120年がたつ。
亡くなったとき独身で妹はまと同居していたさな子は、死亡4日後の10月19日、東京の都立谷中霊園に、はまの夫、つまりさな子の義弟にあたる熊木庄之助の名で土葬されたという記録が残っているそうだ。
その後、承継者がおらず無縁墓となってしまい、谷中霊園の整理に伴って八柱霊園の「谷中霊園無縁塚」に合葬された。
そのため、現在八柱霊園に「千葉さな子」の名が刻まれた墓石が建っているわけではないのだが、龍馬に想いを寄せる女性というロマンあふれる人物であることも手伝って名の知れたさな子については、八柱霊園の無縁塚に眠っていることも知れ渡っており、千葉さな子のお墓参りにここを訪れる人も多い。
今回、さな子を改葬するのは熊木庄之助の孫である横浜市鶴見区在住の熊木慶忠さん(80)。7月27日に無縁塚の石畳の下から採取した土を入れた骨つぼを受け取った。改葬などのため霊園が無縁塚の土の譲渡を認めるのは今回が初めてだそうだ。
千葉家の菩提寺である仁寿院には、熊木家の墓があり、さな子の妹はまも眠っている。さな子もその墓に改葬され、命日である10月15日に法要が営まれるという。
1世紀以上の時を経て無縁塚から改葬されるというのも、かなり珍しいケースだと思われる。
熊木慶忠さんは、数年前にさな子が無縁塚にいると知って以来、ゆかりのある者として忍びない思いをしてきたそうで、ようやく思いがかなったことになる。
それも、さな子の龍馬への一途な想いがなした業なのかもしれない。
八柱霊園の無縁塚
八柱霊園には、都立霊園各霊園の無縁塚が建てられている。
戦後、都立霊園での無縁墓の増加が問題になった際、無縁仏については霊園ごとにまとめられ、比較的土地に余裕があった八柱霊園に無縁塚が建てられた。
無縁塚の場所はこのあたり↓
西門から入ってすぐを右に曲がってしばらく行くと、4区・5区と道を挟んで右側に並んでいるのが無縁塚だ。
冒頭の写真が、千葉さな子も眠る谷中霊園無縁塚。壁には「谷中霊園無縁精霊この地に眠る」と刻まれた石板が埋め込まれている。
なお、近隣の5区には、柔道創始者として有名な嘉納治五郎のお墓もある。
千葉家の菩提寺 仁寿院
仁寿院(にんじゅいん)は、東京都練馬区、西武線・都営大江戸線豊島園駅を降りてすぐのところにある。
地図を見るとわかるとおり、豊島園駅東側に、仁寿院を始めとしたいくつもの寺が軒を連ねる一角がある。
この寺町は、総称して「田島山十一ヶ寺(たじまさんじゅういっかじ)」と呼ばれ、それぞれ元は浅草にあったが、関東大震災で焼失したのを機にこの地に移転してきた。

左手前の角が仁寿院
Googleストリートビューより
仁寿院は慶長2年(1597年)創建。
北辰一刀流の創始者でさな子の伯父でもある千葉周作もここに眠っている。
龍馬の婚約者改葬へ 没後120年「姉妹一緒に」(千葉日報)
八柱霊園に眠る有名人・著名人
八柱霊園
千葉さな子(Wikipedia)