三鷹禪林寺にて鴎外忌

先日6月19日は作家太宰治の命日「桜桃忌」でしたが、その太宰治が敬愛しお墓も同じ霊園に設けたという作家で医師の森鴎外の命日が、7月9日です。

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森鴎外は、1862年、江戸時代からの医者の家系に生まれ、自らも陸軍軍医となり、ドイツ留学をし当時最新のドイツ医学を学ぶなど、医師として活躍しました。

一方で、ドイツ留学からの帰国後、外国文学の翻訳を多数手掛け、日本で発表しました。
森鴎外の翻訳したものは、日本近代文学に大きな影響を与えたと言われ、徳富蘇峰が高く評価していました。
その後、「舞姫」「山椒大夫」などの小説も執筆し、日本文学史にその名を刻みました。

三鷹の禅林寺にある「森林太郎」の墓

森鴎外のお墓は三鷹市の禅林寺にあります。
墓碑には、本名である「森林太郎」の名が刻まれています。
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毎年7月9日(森鴎外の命日)には、ここ禪林寺において、森鴎外記念会主催で記念集会が開かれ、墓前での献花式、その後、寺内の集会所での文学座談会が開かれています。
毎年、森家の人、鴎外の研究者、鴎外文学の愛好家など、50人前後が参加されているとのこと。

斜め向かいに建てられた太宰治の墓

森鴎外のお墓から、墓地を少し奥に進んだ向かい側には、作家太宰治のお墓があります。
太宰治は、小説「花吹雪」の中で、
「ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れない」
と記しています。
この意を汲んだ太宰治夫人が、森鴎外のお墓のすぐそばにお墓を設けたそうです。

森鴎外と太宰治は、年齢は40歳以上も離れており、実際に接点があったかどうかは定かではありません。
太宰治が自宅の近くの禅林寺で森鴎外の墓を見つけ、鴎外への敬愛の念がさらに深まっていったということなのかもしれませんね。

多くの文人を育んだ、三鷹の地の一端がここに今も息づいているのです。