
渋谷、六本木の喧騒から少し離れ、青山、西麻布の閑静な住宅地に隣接し、東京都心とは思えない緑と自然に囲まれた青山霊園。
大久保利通、北里柴三郎、志賀直哉といった近代の偉人・文人なども数多く眠る都会の霊園は、
何だか不気味・・・、ちょっと怖い・・・、そんな墓地のイメージとは一線を画した、もはや史跡としての風格さえ漂わせる東京の名所の一つです。
そんな青山霊園を散歩してみました。

開設当初は田舎だった!?
青山霊園は、江戸時代までは美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)藩主であった青山家の屋敷でした。
明治時代になって、政府は東京都心での埋葬を禁止し、郊外に市民のための公共墓地を設けました。青山霊園もその一つです。
つまり、明治初期はまだ青山近辺は東京都心ではなく郊外だったのですね。
その後、大正時代にかけて東京は急激な発展を遂げ、市街地は大きく広がることになりましたが、青山霊園は当時から変わることなくその姿を留めているのです。
青山霊園全景(Wikipediaより引用)
目印のラーメン屋さんと桜並木
今回は、遠景写真の右下、西麻布交差点からほど近い南中央入口から探訪してみます。
西麻布交差点から外苑西通り、ローソンのあるY字路を右に、歩いて3分ほどで青山霊園の入口が見えて来ます。
知る人ぞ知る老舗「かおたんラーメン」の右が南中央入口です。
青山霊園は、西麻布から青山方面に向かって上る丘の上にあり、こちらから向かうと登り斜面が続きます。
ここから青山通りの少し手前まで続く霊園は面積26万平方メートル、なんと東京ドーム6個分程の広さを誇ります。
霊園を南北に貫くこの道は、春は見事な桜が咲き誇り、わざわざ花見に訪れる人も少なくありません。
5月には新緑を蓄えた桜の下にツツジが咲き、これもまた初夏の風物詩となっています。
霊園に入るとすぐ右側に島村花店というお花屋さんがあります。
年季が入ったたたずまいですね。明治創業とのことなので100年以上の歴史があることになります。
ここでは、お墓参り用のお花を販売しているほか、墓石の販売、お墓の清掃代行なども受け付けてくれます。
ちなみに、青山霊園は、霊園内・周辺に花屋が少なく、特に南中央口から行く場合、この島村花店しかありません。
初めて行かれる方は、事前にお花屋さんの位置を確認して行かれることをおすすめします。
通り沿いには立派なお墓が
この霊園を南北に貫く道路の脇は古くからの区画で、各墓所も広く、立派なお墓が多く見られます。
区画の間の道もきれいに手入れされており、桜並木など自然の樹木がとても豊かで、また都心とは思えないほどの静寂さです。
さて、坂を上りきるあたりに来ると、その中でもひときわ立派なお墓が立っています。
こちらは、明治初期の官僚三島通庸(みちつね)を始めとする三島家のお墓です。
山形県令、福島県令などを務め、地方の道路整備などに大きく功績を残した三島通庸は、東京で警視総監となり、在任中に53歳で亡くなります。
葬儀には一万人以上が参列したと言われ、写真右に建てられた高さ3メートル近くあるであろう墓碑には、見舞い客、葬儀・1周忌の参列者なんと一人ひとりの名前が彫られています。
故人の人望・威光が偲ばれるお墓の一つですね。
大通りを越えて
坂を上りきると、ここで霊園を横切る広い道に出ます。この道もまた桜並木が素晴らしく、霊園に色取りを添えます。
表参道から根津美術館の前を通り、赤坂に抜ける道で、交通量もかなり多く、車で利用される方も多いでしょう。
また、道の下には地下鉄千代田線が通っており、赤坂方面に歩くと4分程で乃木坂駅に行くことができます。
>>次回につづく(次は、ハチ公にも出会える!?青山霊園の北エリアを散歩します。)