後回しにされがちですが、終活の中で意外と重要なのが「終末医療」についての意思表示をすることです。
終末医療とは、終末期(病気などで体が弱り、死が近づいている状態をいいます)の医療やケアのことをさし、「ターミナルケア」とも呼ばれます。
今健康な方にも、そうでない方にも、また年老いた親御さんを持つ方にも、とても大切な問題です。
なぜ終末医療の意思表示が必要か
医療技術の発達によって、今やぽっくり死ぬことはかなりレアケースです。
脳梗塞を起こしても、心臓麻痺を起こしても、ものが食べられなくなっても、すぐに死ななくて済むようになりました。
逆にいうと、ぽっくり死ぬことがなかなかできないご時世になったのです。
第一生命研究所の小谷みどりさんの調査によれば、「ピンピンコロリ(元気なときに心臓麻痺等でぽっくり死ぬこと)」を希望する人はなんと77.7%に上ったそうです。
他の人に世話などで迷惑をかけたくない、苦しみたくない、というのが主な理由です。
しかし実際には、元気なままポックリ死ねる人はほんのわずかです。
また、本当にそれが自分にとって、周りの人にとって幸せかどうかは別問題なのです。
今の死因の一位は「悪性新生物」つまり「ガン」であり、割合は3割近くに上ります。
ガンになった場合、抗がん剤治療や痛みの緩和ケアなど行うことになります。とてもピンピンコロリという状況ではありません。
歩けなくなったり、物を食べられなくなったりすることも想定しなければなりません。
その際、自分で自分の意思表示ができるとは限りません。
言葉がうまく話せない、あるいは意識がはっきりしない、というケースが多々あります。
ですから、元気なうちに、自分がどうしたいか、他の人に伝える必要があるのです。
他の人に何を伝えたい一番重要なこと
自分と、自分を世話してくれる人を含めて、一番影響が多いのが、「生命維持装置をつけるかつけないか」「胃ろうをするかしないか」という2点ではないでしょうか。
生命維持装置を付ければ生きてはいけるが、意識は戻る可能性がない、というのは家族にとってあまりに究極な選択です。
「生命維持装置はつけないでください」と言ってしまえば、自分が殺してしまったような罪悪感に苛まれるからです。
かといって、一度生命維持装置をつけてしまうと外すことはできません。
意識もなく、たくさんの管につながれたまま、ただ横たわるだけ……というケースもあります。
胃ろうについても、近いことが言えます。
口から物を食べられなくなった場合、胃ろう(腹部に穴をあけて管を通し胃に直接栄養を流しこむこと)を行いますが、胃ろうを行った人はどんどん体が弱っていき、やがて寝たきりになってしまいます。
しかし胃ろうも一度始めると辞めることができません。
親御さんが胃ろうしていたものの、ただただ弱っていき最期は意識もない状態が続くという残酷な様子に心を痛め、「胃ろうなんてしなければよかった」と後悔していた方も実際にいました。
もし、本人が元気なうちに、「胃ろうはしなくていいよ」と家族に伝えられていたらどうだったでしょうか。
本人も家族も、弱っていく姿を見ずに済んだかもしれません。心や体の負担が減らせたかもしれません。
「生命維持装置なんてつけないで!」「胃ろうはしないで!」と言っているわけではありません。
もし事前に「したい」「したくない」という意思を表明することで、本人も家族も、それについてじっくり考え、覚悟ができることが、長い目で見て大切だと思うのです。
具体的に伝えることが重要
その他にも、「物を食べられなくなったら経管栄養はしないで」とか、「抗がん剤治療はしない」「最期は自宅で過ごしたい」など、自分の希望は具体的に伝えることが大切です。
内容によっては、家族が反対するかも知れません。
「生命維持装置をつけないで」と言っても、家族は長生きして欲しいという思いから反対するかもしれません。そりゃそうですよね。
そういうときは、絶対に自分の希望を押しつけず、話し合うようにしましょう。
なぜ自分がそれを希望するのか、なぜ家族は反対するのか、理由をきちんと聞いてください。
それによって、お互いの理解がより深まるでしょう。
自分の考えもまとまってきます。考えが変わることもあるかもしれません。
また、必ずしも「家族の同意を得ることが絶対に必要」であるとは思いません。
後々になって、「そういえばお父さん、あんなこと言ってたね」と家族に思い出してもらえるからです。
何もないのとは大違いです。
いわゆる「昭和のオヤジ」世代はなかなか自分の希望なんて口にしないことも多いですが、ちょっと勇気を出してみてはいかがでしょう。
あなたは本当に「ポックリ死にたい」のか?
前出の小谷みどりさんは、その調査にあたって、「ポックリ死にたい!と言う高齢者達に、『では今夜ポックリ逝ってもいい人は?』と聞くと、ほとんど手は挙がらない。ポックリ死にたいのに今日はいやだ、明日はいやだ、というのはよく考えればおかしい話だ。なぜなら覚悟をもってポックリ死んだ人はいないからだ。結局は死に方が問題なのではなく、いつ『そのとき』が来てもいいように、悔いのないよう、日々を過ごすことこそが大切なのではないか。」とまとめています。
死に際して、ああしておけばこうしておけば、と思ったときにはもう自分では何もできない、ということになると取り返しがつきません。
元気なうちに、自分の最期をイメージしつつ、悔いのない人生を送ってください。