夏と精霊たちは篠笛の音に乗って… -角田山妙光寺 送り盆フェスティバルより

 夏休みが終わりを迎え、秋の足音もそろそろ大きくなってきた8月26日、新潟県の角田山妙光寺では送り盆を祝う「フェスティバル安穏」が開催された。今年はついに28回目を迎える。

 この夏新潟を苦しめ続けた雨も、今朝は何かに気付いたかのようにどこかへ去っていき、程なく晴れ間が覗いてきた。
 日本で初めての永代供養墓を作るなど妙光寺を支えた小川英爾現住職は今年11月での住職引退を発表しており、住職として最後の送り盆フェスティバルとなる。この日の晴れ空に一番喜びを隠さなかったのも無理はない。

 朝、客殿に運営スタッフのミーティングが始まるが、時間になっても住職が現れない。「御前さまーー、いませんかー。御前様がいないので会が始められません!!早く来てくださーい!」スタッフリーダーが部屋から呼ぶ様は、もはやどちらがスタッフなのかという感じだが、これも住職が皆から慕われているということだろう。
 今年も、近隣のみならず全国から集まったスタッフは100人近く。檀家さんのみならず、お坊さん、住職の知り合いや仕事仲間、住職やお坊さんの家族親戚や知り合い、そのまた知り合いなどもう多士済々、それぞれが手弁当でお祭りを手伝いに来るのだからすごいことだ。何日も前からこの日の準備のために精を出した人も多い。

 打合せを済ませると、スタッフはそれぞれの持ち場に足早に去っていった。開門前からもう山門にはお客さんの姿が見え始めている。

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イベントで盛り上がるフェスティバル

 妙光寺の送り盆フェスティバルでは、ミニバザーや飲食コーナー、寺カフェなどの出店が出るほか、妙光寺めぐり、蓮の花飾り作り体験、ヨガ、お茶席など多くのイベントが開催される。
 今年は日蓮宗の公認キャラクター「こぞうくん」も姿を見せ、祭りに賑わいを添えた。

こぞうくん
こぞうくんは子供たちにも大人気

 このお祭りで目玉の一つとなっているのが、お坊さん花押ラリー。100円で扇子を購入すると、境内を歩いているお坊さんに声を掛けるとその扇子に花押を書いてもらえる。
 今回参加したお坊さんは14人。境内でお坊さんを見つけることは時間帯によっては難しいことも多いのだが、毎年花押をコンプリートする猛者がかなりの数いるそうだ。

花押ラリー
お坊さんに会えたらラッキー

 昨年までは普通の紙にボールペンで花押を書くというものだったのが、今年は「センスアップ」(運営部談。笑)して扇子を導入。筆記も筆ペンになり、利用者にも好評だったとか。
 人気イベントでも改善・改良を怠らないところに頭が下がる。
 最近、御朱印帳が人気だが、お坊さんにサイン(花押)をもらえる場というのはなかなかないだろう。花押の入った扇子は、その人だけの宝物になることだろう。

 妙光寺の中をツアーし、お寺の中を住職の書斎などまで探検できる「妙光寺めぐり」も人気。

お寺好き、歴史好きにはたまらない

 なにせ妙光寺は、日蓮上人が佐渡へ島流しになった際に嵐に遭って船が漂着したというのがその由縁。その歴史は700年近くにも及び、たくさんの歴史がつまったお寺なのだ。
 ツアーでの説明は寺院の建物・設備から仏像一つ一つにまで及び、その充実した内容は専門家も絶賛するほど。お寺好きの方のみならずぜひ一度体験したもらいたい。

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ヨガ教室
初めてでも無理なくできるポーズでリラックス
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蓮の花飾りづくりコーナー
子供から大人までその目は真剣そのもの
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住職トーク
住職やお坊さんの意外な本音が飛び出す。

趣向をこらした法要も

 イベントが目立つ送り盆フェスティバルだが、もちろん「送り盆」つまりお盆中にこの世に帰ってきた先祖の霊たちをあの世に送り出す儀式をメインとするものであり、法要も行われる。

 フェスティバル安穏では、毎年「音楽法要」を行っていて、プロの演奏者を招き、演奏とともに法要を行う、ということをやっている。
 今年の音楽ゲストには、和太鼓・篠笛という日本楽器でオリジナル楽曲を演奏する「朋郎(ともろう)」のお二人。

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 純日本的な音色ながらも、現代のロックやジャズのような雰囲気をまとった、不思議な音楽を奏でるお二人。
 ゲストとはいえ、お昼の本堂の法要での演奏、夕方の送り火法要での演奏、夜の交流会での演奏と、がっつりお祭りに参加してもらうのが妙光寺流。ギャラも限られるなか、妙光寺だからと受けてくださったというからこれまたいい話だ。

 お昼の法要は、朋郎の演奏が流れたあと、お坊さんが現れ、厳かに読経が行われる。本堂が私たちのイメージするような「お寺」に戻るひと時かもしれない。

 実はこの法要の様子、すごいことに、Ustream(ユーストリーム)でインターネット中継されていた。
 スマホさえ持っていれば、世界中から妙光寺にアクセスできるようになっていたのだ。

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Ustreamから見た法要中継

 昨年もインターネット中継が行われたものの、Wifi経由で行った中継の画質に満足できなかった小川住職、今年はなんと専門業者を招聘しネット回線をつなぎフルハイビジョン画質でのネット中継となったそうだ。
 複数台のカメラから回線が伸び、画像切り替えスイッチなど多くの機器とモニターが並ぶ様は、何かのテレビ中継かと見まごうほど。
 11月に行われる住職交代式で中継するための予行演習も兼ねたとはいえ、新しい技術をどんどん取り入れる姿勢には恐れ入る。ネットで法要を見る、ということについては議論もあろうが、少なくともこんな風にお寺が自分で発案・手配・発信してくれるのであれば、ありがたい人はたくさんいるのではないかと思う。ネット技術を使うのも、その中身や使い方だけでなく、心が必要なのだということに気づかされる。

 さて、法要は、フェスティバルの最後にも、妙光寺の境内を流れる川のほとりでも行われる。
 本堂と墓地からお坊さんと檀家さんの行列が現れ、川に集まる。川には炎が灯った灯籠が何百と飾られ、参加者も多くがそこに集まり、一緒に法要に参加する。

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 ここでも、朋郎の二人の神秘的な音色で法要が始まり、お経が唱えられる。
 川と森、自然に囲まれ、お経の中で参加者が一斉に散華を撒く様子は、法要そしてフェスティバルのハイライトでもある。

 精霊たちはこうして夏の終わりと共に川を上り天へ帰っていくのだ。

夜は参加自由の交流会

 飲んで食えて騒げるお祭りというのはどこにもあるだろうが、妙光寺のお祭りは夜も一味違う。晩御飯と酒を囲み参加者みんなで交流しましょうという会になっている。
 知らない人同士がどんどん話して仲良くなって・・・、というわけではもちろんないのだが、「檀家だけのお祭りではない」「開かれたお寺にしたい」「知らない人同士でも何かの縁になれば」という小川住職の配慮が、こういうところにもあらわれているのではないだろうか。

 交流会では、ゲストによる演奏も披露される。今回は、日本の伝統芸能を舞台芸能として発展させた「和力」の加藤木朗さんと平澤久美子さん、法要の音楽も担当した朋郎の武田朋子さん、内藤哲郎さんの4人。

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 この四人の演奏がこれまたすごかった。特に後半の4人でのコラボレーションは、その迫力と重低音、ビシッと決まるビートとアクションに、見るものみんなが引き込まれていった。

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 演奏終了後は、大拍手とスタンディングオベーションに包まれ、その圧巻の演奏はさらにフェスティバルに花を添えた。

 こうして、妙光寺の長くて短い一日は過ぎ、夜も更けていった。
 最後は、恒例の角田衆(地元の檀家さん)たちと住職による太鼓の演奏が始まる。
 演奏が始まると、誰が誘うでもなく舞台周りに集まり、みなが踊り手となって舞台を囲む。

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 きっと、盆踊りってそもそもこういうものなんだよね、と思わせる笑顔の輪が、踊りに手慣れた人も、そうでない人も飲み込んで、祭りの夜の最後を惜しむようにしばし回り続けるのだった。

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子供たちにも印象深い一日になったことだろう

 
 
 最初に述べたとおり、今年も100人近くにのぼるスタッフが送り盆フェスティバルを支えた。檀家さんのみならず、住職と付き合いのある方や知り合い、住職やお坊さんの家族親戚や知り合い、そのまた知り合いなどそこかしこで驚くほどに輪が広がっていて、それぞれが手弁当でお祭りを手伝っている。
 今回の送り盆フェスティバルでは、住職の引退に併せ自分もそろそろもう引退しようかな、というスタッフ・檀家さんも何人かいらしたようだった。
 しかし、言っている方もどこまで本気なのか、また言われたほうもさして本気にせず取り合ってもいなかったようにも見えた。

 もちろん、誰かが引退することとしたら皆にとって寂しいことであることは間違いないのだろうが、それは彼らにとっては大きな問題ではないのかもしれない。
 それは、一度来るのを辞めたとて行きたくなればいつでも迎えてくれる寺とそれを支える人達があることを、皆知っているのだから。

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田辺 直輝(たなべ なおき)
 一墓一会編集長
 お墓アナリスト
 海洋散骨アドバイザー
 私がお墓関係の仕事に関わり始めたのは10年ほど前。
 たった10年の間ですが、お墓を持つ人、お寺さん、民間の墓地運営者など多くの方とお話しするにつけ、世の中のお墓事情は日に日にどんどん変わっていることを実感します。
 誰もが同じような場所に同じような墓を建て、同じように子孫に引き継いでいく、そんな時代はもう終わりました。
 「最近は先祖を敬う気持ちが薄れているのでは?先祖をもっと大切に。」というお寺や墓地の関係者の話も耳にします。
 しかし、何より大切にしなければならないのは、今生きている人の人生です。
年を取った人が安心して余生を送ることができ、遺される人も安心して見送ることができる、お墓を通じて、そんな皆様の人生のお手伝いができればと思っております。