「墓じまい」をすべきかやめるべきか、または今やるべきかまだ先にするか、迷っている方も多いことと思います。
墓じまいをするにもお金がかかります。ネットで検索したら「墓じまいには100万円くらいかかるとみておいた方がよいでしょう」なんて書いてあって、そんなにかかるのか!と二の足を踏む方もいらっしゃるでしょう。
(お墓の大きさにもよりますが、最近ではそこまでお金はかからないと思います。)
両親とはうまくいってなかったし、祖父母はあまり記憶にもないし、お墓はあるけど、もう放っておけるものなら放っておきたい、なんて方もいらっしゃるでしょう。
お墓の世話はしたくない(もしくはできない)けど、墓じまいをしたくもない、そんな方のために、墓じまいをしない方法について考えてみました。
そもそもお墓のお世話って何?
日本人の宗教離れ、というのは言われ始めて久しいですが、実は、お墓参りを定期的にする、という人は今もかなり多くの割合でいます。
2013年にNHKが行った世論調査では、「年に1、2回程度は墓参りをしている」という人がなんと72%に上りました。
しかも、1973年の62%という数字から年々増えての72%です。
日本人の4分の3は、今も毎年欠かさずお墓参りをしているというのです。律儀な日本人らしいですね。
ただ、年々お墓を大事にする人が増えている、と考えるのはちょっと早計です。
なぜなら、1973年頃は、ほとんどの家には仏壇がありました。みんな毎朝そこでお勤めをしておりましたから、お墓に行かなくてもよかったわけです。
また、お墓もほとんどがお寺の檀家墓地ですから、お寺にお布施を納めておけば、お寺さんもお墓の世話だってある程度はしてくれるわけですね。
今は、お仏壇はないですから、「たまにはお墓参りでもしないとね」となりますよね。
また、お寺ではなく公営や民営墓地が増えてきました。公営・民営墓地は、管理料を支払っていないとお墓を撤去されてしまいます。
また、管理者はお墓の掃除や草引きはやってくれませんから、しばらくお墓参りしないとお墓は程なく草ぼうぼうで無残な姿になってしまいます。
だからお墓参りしないとね・・・、とそういうことを重荷に感じてしまっている人が増えている気がします。
そもそもお墓はしまわなくても朽ちていくもの
つい150年ほど前、江戸時代・明治初期までは、日本では亡くなったら土葬するのが普通でした。
土葬してその上に土を盛り、墓標を立てます。
時間が経てば、遺体は土に戻り、やがて墓標も同じく土に還っていきます。
それが普通でした。
明治に入ってしばらくすると、衛生的な理由で遺体は火葬されるようになります。
経済も発展して庶民も裕福になり、誰もが石の立派なお墓を立て、その中に遺骨を納骨するようになります。
お墓は少々の時間では土に還ってはくれなくなってしまったのです。
ただ、かつてはお墓はほとんどがお寺の檀家墓地、または地域の共同墓地でした。
お墓を持つお寺さん、または共同墓地を管理する人は、そのお墓が、縁者がみな亡くなった、もしくは檀家でなくなった、世話する人がいなくなった、と見れば、お墓を片付け、埋葬者を「無縁仏」として無縁塔に改葬してきました。
「無縁仏」というと、「縁のある人が誰もいなくなってしまた寂しい人」「世話してくれる人がいない見捨てられた人」みたいなネガティブなイメージが付きまといがちですが、私は必ずしもネガティブなものではなく「時間を経て自然に還って行けた人」とも言えるのではないかと考えています。
墓じまいしないとお墓がなくならない公営・民営墓地
一方、公営墓地や民営墓地は、事はそう簡単ではありません。
公営墓地も、古いところは「無縁墓地」があります。無縁墓を撤去して無縁仏として合葬してきたものですね。
しかし、公営墓地の場合、撤去費用・改葬費用は税金でまかなうことになりますので、そんなにしょっちゅう無縁墓の撤去なんてできないわけです。予算を取るのも大変ですから。
民営墓地は、無縁墓地・無縁塔があるところはかなり少ないと思います。
というのも、民営墓地の場合は、無縁墓の撤去費用は管理会社の持ち出しになってしまいますから、管理会社はできれば無縁墓の整理などしたくないのです。
契約書には、もちろん「管理料を○年滞納した場合は墓石を撤去します」的なことが書かれていますが、販売する墓地に余裕がある場合などは管理料が払われなくても撤去されない場合が多いのです。
ただ、放っておいても当然管理料の支払から逃げられるわけではなく、管理料滞納で裁判所に訴えられることも多々あります。
墓じまいをせず、お墓が無縁墓になってしまう場合もありますが、そのときは、運営者が墓の撤去をすることになり、その費用は回り回って他の人、つまり公営墓地のある自治体の住民や民営墓地の他の利用者が負担することになるわけですね。
これは、社会に生きる人としてはマナーに欠ける行為かと思います。
墓じまいしないでもいいよ、と言ってくれるお寺もある
先ほど、お寺は無縁仏になっても無縁塔に改葬してくれる、という話をしましたが、これも公営・民営墓地と同じく結局はお寺がお金を負担してやってくれるわけであって、無縁墓になるのを前提としてお墓を放っておくのはマナー違反です。
とはいっても、跡継ぎがいなくて自分の後お墓の面倒を見れる人がいない、という事態は誰にも起こり得ます。
お寺によっては、例えば埼玉県本庄市の長泉寺のように「墓じまいなんてしなくていい、世話する人がいなくなればその墓も土に還って行くだけだから」という何とも優しいお寺もあります。
「墓地完全無料化」 住職が挑む“あの世の家賃”の透明化
私の良く知る地方のお寺のご住職も、「墓じまいなんてする必要はないんだよ。お墓参りなんかできなくたって、あそこに行けばお墓がある、先祖がいる、と思っていられることが大切だから。お墓の世話をしたけどどうしてもできないというなら、それくらいお寺でしてあげたっていいんだよ。」とおっしゃっていました。
自分のお墓があるお寺のご住職がこういった考えの人であれば、それは本当にラッキーです。
墓じまいするのか、しないのか、したくないのか、お寺に相談してみると良いと思います。
ただ残念ながら、これら2つのお寺はいずれも都心から少し離れた郊外にあるお寺です。
墓地に余裕がない都会のお寺では、なかなかこういうところは見つからないでしょう。
墓じまい、するかしないか。
墓じまいをすべきかするべきでないかは、このように、そのお墓がある墓地にもよってだいぶ状況が変わってきます。
「墓じまいして方の荷が下りた」という人も多いですし、「お墓がなくなって寂しくなってしまった」という人もいます。
「お墓の世話をしなきゃ・・・」というところから少し距離を置いてみて、「自分が無理に墓じまいしようとしていないか」と考えてみるのもいいかもしれません。

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