真宗大谷派が、労働法に反する労使覚書締結し、40年以上にもわたって労働者に対して残業代の未払いが続いていることがわかりました。
本件が一般的な会社であったならば、よくもまあこんな杜撰なことをしたものだ、よく今まで問題にならなかった、という案件ですが、事が「お寺」となるとそう単純に片付けられる問題でもないようです。
真宗大谷派、残業代未払い 違法な労使覚書を40年超締結「職員に甘えていた」(産経新聞)
真宗大谷派、時代遅れの労務管理 残業代不払い問題(京都新聞)
もう20年近くも前になるが、筆者は都内の寺院で泊まり込みの座禅研修を受けたことがあります。
真冬に裸足、上着なしで、1回1時間ほどの座禅を日に3~4回行うだけでなく、合間には本堂や庭の掃除をしたり食事の用意をしたりと、夜にはかなり疲れていたことを思い出します。住職のお話の時間もあるのですが、「修行というのは、座禅を組んだりお経を勉強したり、はたまた山にこもったり滝に打たれたり、そういうものだと思われるかもしれないが、日々の生活における掃除や炊事、食事だってすべて立派な修行なのです。」ということを伺ったのを覚えています。
お坊さんにとっては、日々のささいな仕事でさえも行(ぎょう)であり、学びのきっかけになるわけです。
一方で、現在の法律では、お坊さんも宗教法人との間で労働契約を結んだ一労働者となります。お坊さんがお寺に対して労務を提供する代わりにお寺から報酬として賃金をもらう、この時点で労働法が適用され、お坊さんが規定時間外に働くことは時間の制限がかかりますし、残業の報酬も発生することになります。
半面、お坊さんの仕事はすべて修行なのだ、と言ってみたところで、読経など修行に近いものもあれど雑務のような一般的には完全なる「業務」と言えるものも多いでしょう。そのあたりの線引きが難しいところもあるのだとは思います。
実際、記事にある
「職員の前向きで自主的な姿勢に甘えていた」(大谷派総務部長)
「信仰心を盾に取られ、長時間のサービス残業を強いられた」(元職員)
というコメントを見る限り、「忙しいこともあるけどまあ修行の一環ということで頼むよ」という寺側の願望がエスカレートして元職員もついに忖度しきれなくました、という構図がよく分かります。
いろいろ事情はあるのでしょうが、本件は明らかな労働法違反。
問題が起きたのは、「補導」と言われる泊まり込みで研修などを手伝う僧侶の残業についてです。労働者が「僧侶」であったことが、時代錯誤な労働契約を残してしまった原因だとすれば、これはまだ氷山の一角かもしれないところも心配されます。
この問題がもしもっと大きくなってしまった場合、「では修行も寺側がやるように指示したなら労働になるのか?残業代をすべて払わなければならないのか?」「そして難しい修行をクリアしない限り位が上がらないとしたら、それは法令違反ではないのか?」など、現代の労働法ではきれいな決着が難しそうなところにまで問題が及んでしまうのではと心配してしまいます。
全国のお寺さんは、もう一度自分の宗教法人の労働契約・労働規定などがどうなっているか、確認されるいい機会かもしれません。
(※写真はイメージです。本件のお寺とは関係ありません。)
たった10年の間ですが、お墓を持つ人、お寺さん、民間の墓地運営者など多くの方とお話しするにつけ、世の中のお墓事情は日に日にどんどん変わっていることを実感します。
誰もが同じような場所に同じような墓を建て、同じように子孫に引き継いでいく、そんな時代はもう終わりました。
「最近は先祖を敬う気持ちが薄れているのでは?先祖をもっと大切に。」というお寺や墓地の関係者の話も耳にします。
しかし、何より大切にしなければならないのは、今生きている人の人生です。
年を取った人が安心して余生を送ることができ、遺される人も安心して見送ることができる、お墓を通じて、そんな皆様の人生のお手伝いができればと思っております。