お墓参りといえば、春か秋のお彼岸に行う方が多いと思いますが、お墓が遠方にある場合や、家族が親兄弟離れて住んでいる方などは、まとまった休みを取りやすいお正月にお墓参りを済ませる方も多いでしょう。
年末・お正月、親子兄弟や親戚などと集まる方も多いかと思います。こういうときこそが、家・家族のお墓についてじっくり家族で話ができる数少ないチャンスでもあるのです。
おめでたい時期ですので、なかなかお墓の話はしづらいものではありますが、特に高齢となった親御さんには、ぜひお墓の話なども切り出していただきたいものです。
先祖代々の墓を親から子へ引き継ぐ、という従来のスタイルを続けていく家は年々少なくなっています。
これは、従来のスタイルが良い悪いという問題ではなく、満足ができて、精神的にも経済的にも負担に無理がないスタイルを選ぶ人が増えてきたこと、そしてそれが変に思われることもなくなったということです。
今や家族・子供がいても、夫婦だけのお墓、もしくは自分だけ入るお墓を買う、という人も増えています。
お墓にまつわる親子間トラブル

そんなスタイルの多様化にともなって、お墓のトラブルも多様化しています。親が自分の気に入ったお墓を勝手に買ってしまったが子供に相談していなかったために後でもめたなどという話もあるようです。
これらの親子間・親族間のトラブルというのは、往々にしてコミュニケーション不足によって起こります。すべてをクリアにしておくというのは難しいことですが、あらかじめ少しでも話し合ってお互いの気持ちや希望を伝え合うことは、後々の話をスムーズに進めるのに大切なことです。
トラブルにはいくつかの要因があります。いくつかのパターンをご紹介しましょう。
(なお、ここでは便宜上、子持ちの高齢世代を「親」、高齢者の親を持つ中年世代を「子」として記述いたします。)
1) 親が代々の墓を継がせたい場合
この場合、親は子供が墓を引き継ぐのは当然だと思っており、子はそうは思っていないところから問題が生じます。
子が遠方に住んでいるなど今後のお墓の世話に困難が伴うことが明らかな場合は、将来的に子が自分の住まいの近くに墓を移したいと思うのも仕方のないことでしょう。それは現在の墓を軽視しているのではなく、なんとかしてお世話したいという思いの裏返しとも言えます。
また、親が檀家としてお寺との付き合いが深く、子はそうでもない場合、お寺との付き合いが大変、お布施が負担になる、などの理由からお寺にあるお墓を継ぎたがらないケースがあります。この場合、親が亡くなった後に墓じまいをしようとしてお寺と子がもめることにもなり得ます。檀家を続けていくことが難しい場合などは、事前に親からお寺に伝えておくことも大切でしょう。
2) 親が買った墓が遠方である場合
親が購入したお墓が子の住居から遠い場合、子は今後のお墓の世話に困難が伴うことが予想され反対することがあります。トラブルになりやすいのは往々にして親が子に相談することなく、自分の好きな墓を好きな場所に選んだ場合です。自分が入るのだからと自分の死後のことを深く考えずに買ってしまう方もいるようです。
親がどうしても自分のお気に入りの京都のお寺にお墓を持ちたいと、そのお寺の住職に無理を言ってまで檀家になったものの、それを後から知った子が「墓参りができない」と猛反対し、結局檀家を辞めてお寺にも迷惑をかけてしまった、という話もあるようです。
結局墓の世話をすることになるのは子です。事前に親子で相談するほうが良いでしょう。
3) 母親が父親(または父親の家)と同じ墓に入ることを拒む場合
これは、近年非常に増えている問題です。2014年のあるNHKの調査では、既婚女性の6割が「夫の墓に入りたいか?」という問いに対し「いいえ」と回答したそうです。
古い家制度の元で嫁姑関係などに苦労し、家制度がなくなってきた今に至り、妻が「死んでまで姑や夫と一緒に居たくない」と思うのも理解できるところです。
しかし、やみくもに「同じ墓に入りたくない」と言ったところで、言われた方も困ってしまいます。現在は、夫婦だけ、もしくは単身でも入れる永代供養墓も増えてきましたので、選択肢は多く残されています。
ただ、妻が夫にも子にも内緒で自分のお墓を買ってしまう、というケースもあるようですが、これはやはり墓の世話をすることになる人のことを考えた行動とは言えません。せめて子には相談して決めるのが良いでしょう。
4) 親が散骨や合葬墓を希望している場合
上3つのケースとはやや異なるのですが、親が子に気を遣い過ぎる、というケースもあります。
先にも述べたように団塊世代以前の人たちが結婚した頃はまだ古い家長制度が残っている家も多く、嫁姑関係などに苦労しており、自分達の子にはそういう苦労をさせたくない、と考える人もいます。その一環で、お墓に関しても「子供に迷惑を掛けたくない」という一心で、お墓の世話が不要な「散骨」や「合葬墓」を望むことも多いようです。
一方、残される子としては、「どこで拝んでよいのか分からない」散骨や、「知らない他人と一緒になってしまっている」合葬墓ではなく、個別のお墓を持って欲しい、と思うことも珍しくありません。
特に、「親の希望に従って遺骨を散骨したものの、親の居場所も分からないことに後になって後悔した」という方は後を絶たないそうです。
「迷惑を掛けない」という思いが強すぎることがかえって迷惑にならないとも限りません。親は、自分達への子の思いも一度聞いてみてもいいかもしれません。
墓は死にゆく人のためのものか、残された人のためのものか
「お墓」は誰のためのものなのでしょうか。
お墓は、亡くなった方の亡骸を埋めた場所、そして残された人がそこで故人を偲び、その生前に想いを馳せる場所です。故人を偲ぶことはどこでもできることとはいえ、故人が埋葬された場所に襟を正してお参りすることは、故人に対する思いや感謝を伝えたという実感をより強く得られるものです。お墓を「亡くなった人に出会える場所」と表現する人もいます。
一方で、亡くなった人は、お墓に入った自分を見ることはできません。意識がないのだがら、亡くなった人にとってはどこのお墓に入っても同じだろう、と言うのは簡単です。
しかし、これから亡くなろうという人にとって、自分の存在がなくなってしまうこと、そして忘れ去られてしまうかもしれないことは、非常に不安なことなのであり、余生を幸せに過ごせるか、ということと密接に関連してくるのです。
以前お話しを伺った新潟県妙光寺の小川住職(日本最初の永代供養墓を作ったと言われる)は、「自分が死んだときのことが不安で死ねないなんて、そんな不幸なことはありません。自分の気に入ったお墓を持つことで『安心して死ねる』と思えるのはとても大切なこと。お墓の存在によって今の人生が楽しく幸せになった、という方を何人も見てきました。」とおっしゃっていました。
生きるためにお墓がある、という一見逆説的な話ですが、説得力がありますよね。残される人も、「結局お墓の世話をするのは自分なのだから」とすぐに思ってしまわず、亡くなりゆく人の気持ちに寄りそうことが必要かもしれません。
小川住職はこうもおっしゃっています。「人はいつか必ず死ぬもの。そして死ぬときは必ず人に迷惑をかけるんです。昔はそれを家族近所が助け合ってなんとかしていた。そもそも人生とは人に迷惑をかけて成り立っているもので、人に迷惑をかけないなんてできないのだから。」と。
死んだら迷惑がかかるのだから迷惑をかけないなんて考えるのはやめよう、そう言うのは小川住職だけではありません。例えば、つい先日も、介護など高齢者問題に詳しい医学者の石蔵文信氏が、同様の指摘をされています。
年末年始・お正月、親子や親戚などと、お墓について、もといこれからの幸せな生き方について、話し合ってみるのはいかがでしょうか?
>>後編に続きます
家族・親子で話し合いたい「お墓」と「墓じまい」(後編)

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