お墓の無縁化は社会の無縁化。死にゆく人が持つ不安と安心とは ~シンポジウム「イエ亡き時代の死者のゆくえ」より

 2月20日、21日の二日間、東京都港区の青山葬儀所にて、東北大学宗教学研究室(鈴木岩弓教授)が主催する公開シンポジウム「イエ亡き時代の死者のゆくえ」が行われました。
 このシンポジウムは、鈴木教授が中心となって行ってきた研究の発表であるとともに、青山葬儀所で行われる初めての葬儀以外のイベントでもありました。
 同所の指定管理者である株式会社日比谷花壇の働きかけと東京都の協力により実現したそうなのですが、実は青山葬儀所、年間の稼働日数はわずか70日程度とのこと、かなりの広さがあり費用もそれなりに張るためでしょうか、著名人や会社社長、役員などの葬儀需要はあるものの、それ以外の一般の利用は少ないようです。

 青山葬儀所は、都心とは思えない緑に囲まれた素敵なホールです。葬儀所を他のことに使われても行きたくない・・・、という方もまだまだいるのかも知れませんが、都民としては、ぜひこの都の財産を積極的に活用して(特にこのシンポジウムのような関係性深いイベントなども)いただきたいと思う次第ですね。
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青山葬儀所式場(左)と木々に囲まれた中庭(右)

シンポジウム概要

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 さて、シンポジウムですが、土日でかつ土曜日は小雨ながらも両日とも200人以上の観覧者が集まりました。お寺関係者の方も多かったようですが、目立ったのはやはり終活を行っているであろう年配の方でした。
 主催の鈴木教授のほか、参加者・登壇者は9名、それぞれが各自のテーマについて30分間プレゼンテーション、その後参加者によるパネルディスカッションという形で行われました。
 参加者とその発表内容(筆者の概略まとめ)は以下の通り。

○1日目(2/20(土))
1.鈴木岩弓氏(東北大教授)
  その「死」を忘れたくない自分にとっての意味ある「死者」の記憶を継続させるための「イエ」の機能と衰退、そしてその代替になりえるものとは?

2.谷川章雄氏(早稲田大学教授)
  江戸期からの身分・階層の表徴としての「墓」の変遷について。1700年前後に登場した「家」を単位とする墓制など。

3.朽木量氏(千葉商科大学教授)
  墓石から見た、江戸時代の主に農村における寺壇制度の発生と寺請制の精度化、それに伴う墓の変遷について。

4.山田慎也氏(国立歴史民俗博物館 准教授)
  家墓を最終到達点とした代替としての納骨庫の登場(昭和初期)とその後の役割の変化

5.森謙二氏(茨城キリスト教大学教授)
  増える墓の無縁化、そこで必要とされる「安心して埋葬される」ということ。

○2日目(2/21(日))
1.小谷みどり氏(第一生命経済研究所 主任研究員)
  核家族化・単独世帯増加、地域共同体の衰退による世間体の消失等に伴う墓・葬儀の変質において墓を無縁化させないためには(レンタル墓、血縁以外の関係、墓の無形化)

2.槇村久子氏(京都女子大学名誉教授)
  かつての地縁血縁社会は今や無縁社会に。必要となる新しい人と人との結びつきと地域自治体のフォロー。

3.村上興匡氏(大正大学教授)
  「家(タテのつながり)」と「地域社会(ヨコのつながり)」という社会の中に位置づけられていた「死」から「最期の自己表現」としての「死」への変貌。

※ 戸松義晴(元日本宗教連盟事務局長)パネラーとして参加

 1日目は「家」「地域社会」とそれに基づく「墓」「供養」の変遷、について、学術的な側面からの分析が中心でした。
 一方2日目は、近年での社会の変質、主には祭祀継承者の不足や地縁・血縁のつながりの希薄化によるお墓の形の変化、そして今後あるべき姿についての発表がなされ、最後のディスカッションでは各氏から意見交換で終わりました。

今や血縁関係すら薄い「無縁化社会」

・親の代からのお墓があるが自分の次の代に引き継げない
  ⇒というユーザー側の問題
・墓や葬式・法要を中心とした檀家制度が崩壊しつつありお寺の存続問題にまで波及しつつある
  ⇒というお寺・霊園側の問題

主にこの両面の課題が近年ますます明らかになってきたなかで、私たちはどうしてゆけばよいのでしょうか。

鈴木岩弓氏
鈴木岩弓氏

 戦後の都市への人口の大量移動により、1960年代既に核家族は世帯数の半数を超えていたそうです。都市では、外から転入する人が増え、地域のつながりはどんどんなくなりました。
 都市の核家族に生まれた子供達は、成人すると独立して自分の世帯を持つことで核家族を形成、家族のつながりさえも昔に比べて薄くなっています。

 そんな今の時代は、まさに「無縁社会」と言える、と各先生は口々に指摘されていました。

 近年では「生涯未婚率と離婚率の上昇により「単独世帯」がかなり増えている」(小谷氏、槇村氏)ため、今後も「無縁化社会」に拍車がかかると考えるべきでしょう。

 そもそも、「家産(相続していく財産。主に田畑など)を軸に形成されてきた」(井上氏)いわゆる「家」は、人々が家産を持たなくなってきたことで崩壊しつつあります。その中で「お墓」だけを子々孫々引き継いでいかなければならないことに、人々が違和感を持ちだしたのではないでしょうか。

槇村久子
槇村久子氏

 お墓の無縁化問題というのは実は最近に始まったものではなく、「1990年、香川県高松市の市営墓地では既に3分の1が無縁墓だった」(小谷氏)という調査もあったそうで、また都立霊園では例えば1950年(昭和25年)に八柱霊園に無縁塚が作られ谷中霊園の無縁墓の遺骨が改葬されるなど、昔から問題としてはあったようです。
 しかし、近年は、そもそもお墓を「継ぎたくない」「継がせたくない」というような、無縁化する前にお墓を閉じるいわゆる「墓じまい」のような動きも増えており、「子々孫々引き継ぐお墓」が減る傾向が非常に強くなっているのです。

お墓とは何なのか

 鈴木氏は、そもそも墓の役割とは、「自分にとって意味ある死者の記憶をつなぎ止めるためのもの」だと言います。
 人が亡くなったとき、かつては地域社会の中で、「血縁者」と地縁で結びついた「地域社会」が葬儀を行っていました。亡くなった後、親族は法要を行って死者の記憶をつなぎ、またその死を受け入れ、最後は33回忌などの区切りでその死者を「ご先祖」の一人として個人として供養を終える、それはその死者と生前かかわった人、つまり「自分にとって意味がある」と考える人がいなくなる時期と重なるのであり、そういう非常にうまくできたサイクルが自然と形成されてきたのです。

井上興匡氏
井上興匡氏

 また半面、「人の死というのはその家にとって経済的・労力的にも負担のかかるものであったため、人が死んだときはお互い助け合うという互助的なシステムができあがった」「そしてその「血のつながり」と「地域のつながり」の交点として寺が存在した」(井上氏)という部分もあり、「このような「寺」と「檀家」の関係は、江戸時代になって「寺請制」として制度化され」(朽木氏)、農村を中心に根付いてきました。

朽木量
朽木量氏

 そうしてできた「家」というのは、いわば「家産」を軸としたものであり、それが家督であり祭祀継承者でした。ゆえに、「お墓」も家産の一つとして次の代に引き継がれてきました。
 しかし、「家産」がなくなった現在では、そうした「家」がなくなり、「祭祀を承継する」という概念が薄れつつあります。

谷川章雄
谷川章雄氏

 そもそも、そのような子孫に引き継がれる墓以外のものはないのかというと、「江戸時代にも江戸の街などを中心に、寺壇制度に組み込まれていない下層の町人などは、祭祀を行う人もなく、地域の寺に投げ込み同然に葬られていたとみられる例もある」(谷川氏)と言います。農村部でも、とある平塚市のお寺の例では「中層農民の墓が多くを占める」(朽木氏)のだと言います。
 つまり、いわゆる「子孫への承継を前提としたお墓」はメジャーではあるものの、それを持たない市民というのも昔から存在したことになります。

これからのお墓に求められるもの

 シンポジウムで紹介されたデータで非常に印象的だったのは、「家に仏壇がある」「定期的に家で法要を行う」といった人は近年どんどん減っているのに対し、「毎年お墓参りに行く」という人は昔から7~8割程度で変わっていないそうなのです。
 昔ほどお墓や葬式・法要に費用や労力をかけなくなった今でも、「お墓」自体については「死者とつながることができる場所」として大事にしている人が多いという証左です。

小谷みどり
小谷みどり氏

 お墓は必要と思いつつも、お墓の承継は難しい、また祭祀は簡略化する、という側面については、小谷氏が「世間体がなくなった、という点に尽きる」と断言していました。確かに、見栄を張ったり体裁を取り繕わなければならない相手や状況がどんどん減っています。
 「世間体」がなくなるのは寺に対しても同じであり、住職や他の檀家さんとの交流もなくなった結果、「自分の代で寺との縁を切ってしまおう、という方が非常に多い」(小谷氏)そうです。

 このような時代の流れの中、今後のお墓に何が求められているのかというと、

・有限化:永代使用権ではなく使用期間を設け、継承者がいない場合はお寺で合葬等する。
・無形化:散骨や樹木葬により骨を自然に返し、継ぐ必要があるものを残さない。
・共同化:他人と共同で埋葬され、継ぐ必要があるものを残さない。

この「3点に集約される」(森氏、小谷氏、槇村氏)のです。

森謙二
森謙二氏

 いずれも、「承継を前提としない」ところがポイントです。
 一つ目の「有限化」は、一番わかりやすいのは「永代使用権」をもらって墓地を建て子孫が受け継ぐ、という今までのスタイルではなく、「有期限」の期間でお墓の契約をしたうえで継承者がいれば使用期間を更新し、いなくなれば契約終了で合葬墓に改葬、という契約形態にするというものです。最近ではこのような形態を取る霊園も増えてきており、「レンタル墓」という呼ばれ方をしている場合もあります。
 一見当たり前のようですが、従来のお墓では「永代」を前提としているため契約終了は想定されていません。それゆえ、継承者がおらず無縁化した場合にそのお墓を動かしたり改葬したりすることがすぐにはできず、無縁墓増加の一因になっています。そもそも「「永代」を謳うこと自体が、運営主体の永続性と照らし合わせて妥当とはいえない」(森氏)というもっともな指摘もあります。

 二つ目の「無形化」は、主に散骨のような墓標を作らない形式です。こちらは、近年希望する人が増えているらしいのですが、
1) 故人の希望で散骨したものの、お参りする場所がなくて寂しい
2) 残された人がお墓を持ちたくないために廃棄同然に散骨する(⇒場合によっては死体遺棄になる?)
という2点の課題があるようです。
1)のケースは、前述した「お墓参りをする人が7割以上」という風習の根強さもあるためで、故人がなくなって寂しいと思うような場合は散骨はやめた方が良いのかもしれません。

山田慎也
山田慎也氏

 そして三つ目の「共同化」は、合葬墓、納骨堂、永代供養墓など、他人と同じお墓に入るというものです。
 その歴史は浅くなく、山田氏によると1934年(昭和9年)には都立多磨霊園(当時多磨墓地)に納骨堂が建てられているのをはじめ、1960年頃にはすでに全国で4000以上の納骨堂がありました。しかし、当初の納骨堂は「あくまで将来的にお墓に埋葬するまでの一時的なものとして」(山田氏)作られたようです。
 近年では、老人ホームに合葬施設が併設されており晩年の仲間と一緒に入れる合葬墓や、企業や生協がその従業員や会員向けに建てた合葬墓など、誰かとの縁を持って入れるお墓も増えているのです。

不安を持ったまま死に望むか、いかに安心して死を迎えるか

戸松義晴
戸松義晴氏

 結果として、無縁化が進む中最期は誰かとのつながりを求めなければならない、という皮肉な社会になっています。
 死んだら自分の墓が見れるわけでもないのですが、ではなぜ人は自分の墓を決めようとするのか、また「終活」と言った準備をしようとするのでしょうか。
 この点は、鈴木氏、井上氏、小谷氏が共通して「死に際して、自分が死んだ後誰も弔ってくれないのでは、死んだ後すぐに忘れられてしまうのではないか、そういう不安を持ちたくない。安心して死にたい」ということを述べていらっしゃいました。
 だがしかし、「自分が元気な間はいい。しかし、いろいろな縁を切ってきた後、体が弱ってきたときに、一人では生きられないことに気付く」(小谷氏)ことになるのです。
 寿命が延びた現在、人は「自分がいかに安心して死んでいくか」という新たな課題に立ち向かわなければならなくなりました。

 このシンポジウムに参加されていた戸松氏、井上氏、朽木氏は、教授などをされる傍ら僧籍をお持ちで、住職や副住職も兼任されているそうです。お三方は「檀家がいなくなって皆が寺から離れてしまったことについては寺にも責任がある。葬式や法事にしか顔を出さず、人々の心に触れてこなかったことへのしっぺ返しが今の状況ではないか。」「寺壇制度がなくなっていく中で、これからお寺が宗教者として、また公共のものとしてどのようなアプローチができるのか、リセットして考えていく必要があるだろう」とおっしゃっていました。

 人と人のつながりがどんどん薄くなり、皆がどこかにつながりを持ちたいと気づいたときにはなかなかうまくできない、多くの人がそんな状況に置かれてしまっている今の時代を痛切に感じさせられるシンポジウムでした。