人口減少時代を迎え、檀家の数も減る寺院が多い中、このままでは大多数のお寺が淘汰される寺院大減少時代が押し寄せる可能性さえある。
寺院の現状と寺院が抱える課題、そしてこれからの展望について、エンディング産業展2016で開催された3つのセミナーから見えたものとは。
寺院消滅時代を迎えて 鵜飼秀徳氏
鵜飼氏は、日経ビジネスの記者でありながら僧籍も持つ。自らの足で地方の消えゆく寺院を取材しまとめた著書「寺院消滅」はその衝撃的なタイトルも相まって大ヒット作となった。

氏によれば、現在寺院は全国に77,000か寺あり、内20,000か寺はすでに空き寺になっており、今後15年でさらに10,000か寺が空き寺になると言われているという。
さらには、2014年日本創成会議で発表された896の消滅可能性自治体には宗教法人は35.6%が存在しているというから、さらに空き寺が増える可能性は高い。
第一次産業の衰退、人口の減少により、地方の過疎化は激しく進んでおり、集落が衰退すればそこにある寺院も立ち行かず、住職がおらず遠くの寺の住職が兼務しているなどというのはまだ良いほうで、
住職がいなくなってそのまま寺がなくなってしまうケースもあるそうだ。
一方都市部にても、「お布施がいくらか分からない」「お布施として高い金額の支払いを求められた」などお金の問題に端を発した寺院・僧侶アレルギーの問題が深刻化、人口は増えても檀家は増えない、という
事態に陥っている。
鵜飼氏によると、仏教が葬式仏教となって寺院が衰退していることは、「寺院が市場経済に巻き込まれてしまったこと」に起因すると見る。
かつては物々交換で経済が動いていたうえ、地主として多くの小作人を抱えていた寺院は小作料として農作物の収入もあり、経済的に困ることはなかった。
しかし、戦後の農地解放で収入基盤を失うと、生活のため現金を稼ぐ必要が生じ、葬式・法要や霊園経営に精を出さざるを得ない状況に追い込まれたのだ。
そのうえ、その葬式や法要も件数は減り、さらに最近では葬式は行わず「お別れ会」を行う風潮も出始め、僧侶の出番はますます減っているというのだ。
これからの寺院経営を考える 橋本英樹氏(見性院住職)
埼玉県熊谷市にある見性院の住職である橋本英樹氏、テレビや新聞でも幾度となく取り上げられている有名なお坊さんだ。

9年前、橋本氏が父である前住職から住職を引き継いだとき、檀家は400件、その発言権は非常に強かった。檀家は寺が自分たち檀家のものだという意識が強く、住職はお寺のオーナー的立場であるにもかかわらずとにかく権限がない。
そのうえ、収入は自分の給料が出るか出ないか。このままではさらに収入は減り、寺がつぶれてしまう。
そこで、檀家制度を廃止し会費無料の会員制としたうえで、お布施の明示定額化に踏み切った。
長らく仏教界で続いてきた慣例を否定したやり方は、他の寺院や古来の檀家の猛反発を招き、周辺寺院との付き合いは皆無に。旧檀家との関係も未だに良くないそうだ。
しかし、寺を存続させるため、寺院運営をより良いものとするため、そして何より自分が食べていくため、「住職生命をかけてやるしかない」と橋本氏は言う。
一見温厚で落ち着いた雰囲気の橋本氏だが、その言葉の節々には覚悟どころか悲壮感さえ漂っている。
「檀家に頼っていてはダメ。変わらなければこのままつぶれていくだけ。そのためには自分が変えていく。」
そう決めたからには行動は早かった。
前出の檀家廃止、お布施定額化に加え、3万円から納骨ができる永代供養墓の設置、果てはゆうパックでの送骨の受付など、すべて金額明示で格安のサービスを始めた。
その結果、檀家料がなくなったにもかかわらず、収入は3倍に増えたそうだ。
永代供養墓の需要は高かったが、永代供養で終わらず法要を依頼してくる人やお布施をくださる人が予想以上に多かったそうだ。
お布施の定額化は、「法要などはサービスではない。お布施はサービスの対価ではない。」という主張を変えない仏教界からの反発は大きい。
しかし、橋本氏の考えは変わらない。「私は寺の子、自分も結婚している。これは本当に出家しているとは言えないと思う。出家を目指す在家僧侶だ。だから自分が行う法要などはサービスと言っていいと思う。」
橋本氏のやり方はビジネス的に過ぎる、と指摘する声もあるが、
「定額化したくてしているわけではない。最終的には、持っている人からいただく、という形にするのが自分の理想。しかし、現状はこうするしかない。」と意に介さない。
「これからは、現在の「本寺-末寺」の制度に捕らわれず、寺が他の寺の傘下に入れるような仕組みを考えたい」と志はまだまだ高い。
M&Aのようなこの制度、ビジネス界ではとうに当たり前のことだが、お寺の世界でこれを主張することは仏教界への反乱と言っても過言ではない。
果たしてそれが成功するのかは誰にも分からない。しかし橋本氏はあくまで有言実行を貫くつもりだ。
未来の住職に何が求められているのか 松本紹圭氏(一般社団法人お寺の未来理事)

松本氏は、一般家庭に生まれ東大を卒業するもお寺好きが高じ僧侶になったという変わり種。
大学卒業後はMBAも取得しており、その豊かな発想から生まれるユニークな発言は、しばしばネットでも話題になっている。
現在は、東京都港区の光明寺の僧侶を務めつつ、住職のための塾「未来の住職塾」を開き、お寺運営の支援を行っている。
松本氏は、「寺に何が求められているか」ということを多面的に分析し、お寺についての経営の改善策という点でやや具体性に欠ける感はあったものの、その理路整然とした手法はさすがMBAを持っているだけのことはある。
詳細はここでは置くが、松本氏も「寺が『やってみなはれ』の精神で動いていかなければならない」と語っており、お寺という良いものを残していくためには、例え経営状態が低空飛行であっても飛ばし続けることが大切だと訴えた。
自らも、「お寺を変えたい!」という信念から、未来の住職塾の運営のほか、お寺カフェの開業、おてらおやつクラブの設立など、様々な新しい試みを行っている。
お寺はもう必要がないのか?
3人の話から透けて見えるのは、「そもそも、今お寺は日本人にとって必要なものなのか?」という単純な疑問だ。
鵜飼氏の著書「寺院消滅」の中の一節に
「かつて坊さんは、宗教家であるとともに学者であり、公務員であり、慈善事業家であり、教師であり、また芸術家でもあった。(中略)近代化の流れで、坊さんの仕事は減っていき、いつしか失業状態となり、いまや食い扶持を稼ぐ一部の仕事だけをしている。」
とある。
今やお坊さんは、お葬式と法事のときに現れて小難しいことを話す人になってしまった。多くの戦後世代にとっては、居てくれれば有り難いが特段居なくても困らない、人なのだ。
明治維新、敗戦、農地解放、政教分離と、近代化以降寺院には抗えぬ逆風が吹き続けてきた。しかしその中で、僧侶たちは奪われた仕事を取り返すために努力をしてきたのだろうか。
実は30~40年も前から、いずれ檀家は減り寺院の経営は苦しくなっていく、ということは仏教界でも言われてきたことだったという話もある。
戦後の高度成長期には人口が激増し、人々の財布は潤い、裕福になった檀家たちからのお布施も順調に増えていたことだろう。だから、葬式・法要と霊園経営をやっていれば良かったのだ。
それも、今や転換点を過ぎて久しい。俗世から離れたところにあるはずの寺院が、俗世の好景気に図らずも乗っかってしまっていたというのは皮肉だ。
「失われた20年」はすでに寺院にも訪れているのだ。

橋本氏のやり方が正しいのかどうかは分からない。「仏教界の進む道として」という条件を付けてしまうならなおさらだ。
それでも橋本氏は動いた。見習うべきはその類まれな行動力だ。
「顧客のニーズに合った商品を出したら思いのほか売れました」というだけの話とも言えよう。しかし、仏教界という巨大なカーストの中、氏は血のにじむ努力で転換を成し遂げつつある。
もうきれいごとでは済まない、このままでは僧侶は食べてもいけずにほとんどの寺院はつぶれる、橋本氏の生き様はまさに警告だ。
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