滋賀県大津市の寺院が納骨堂の新設を計画したところ周辺住民が大反発、この大騒動から寺院は裁判を起こし、その第1回口頭弁論が1日大津地方裁判所で行われ、話題となっている。
新たに墓地を作ろうとして計画地周辺の住民が反対する、というのは昔からあちらこちらで起こってきたことではある。しかし、今回はいろいろと難しい事情もあるようだ。
今回訴えを起こしたのは住民ではなく、納骨堂を計画した乗念寺、訴えた相手方は自治体の大津市だ。
乗念寺は、1588年開山という400年以上の歴史を誇る浄土宗のお寺、大津市のJR大津駅北側に広がる寺社が多いエリアの中に位置する。
一昨年2014年、乗念寺は道を挟んで70メートルほどのところ所有するビルを納骨堂に改装することを計画、翌2015年に住民説明会を行うが反対意見が続出した。乗念寺はその後納骨堂新設の申請を大津市に提出するも、大津市は2015年7月にこれを不許可処分とし、さらに乗念寺の異議申し立ても今年1月に却下した。
大津市によれば不許可の理由は、「条例で110メートル離れることが要件となっている診療所や幼稚園が近隣にあること」「住民の反対が非常に多いこと」を挙げている。
これだけを見れば、周辺住民の反対を押し切ってされた許可申請が当然に却下されたように見える。
計画地周辺はお寺の町
ところが現実はそんなに簡単ではない。
この乗念寺の納骨堂計画地周辺の航空写真を見てみよう。
Googleマップより
中央やや上の赤い部分が乗念寺、その下のピンクの部分が納骨堂計画地で、現在は修行所などに使っているそうだ。
さて、周辺を見ると、青く囲んだところ、これは寺院と神社だ。境内に墓地があるところもいくつもある。
この航空写真に写っているのは、約350メートル四方のエリアだが、この狭いエリアに確認できるだけで乗念寺を含めて17か所の寺社が存在するのだ。
そしてそれどころか、納骨堂計画地のすぐ左下に2か所黄色で塗った部分、ここは実は墓地なのだ。
乗念寺としては、こんなに寺があってお墓があるのが当たり前の町なのに自分のところだけはダメなのか!?と思うのも当然だろう。
乗念寺は、檀信徒や縁者らから約1300もの署名を集め、地域の13寺が宗派を超えて加盟する「大津市仏教会中央分会」による納骨堂設置協力の文書も併せて提出した。
寺が先か、住民が先か
さらに、乗念寺の訴状によると、計画地のビルは、市道拡幅のため寺の敷地の一部を市に売却する代替地として市から提案されたもので、将来は境内地として利用できる合意があったと主張している。
この主張が真実とすると、乗念寺側は大津市の対応にも相当な不信をもって訴訟したことだろう。
一方、訴訟では当事者ではない周辺住民だが、乗念寺の住民説明会では、「気持ち悪い」「生活が脅かされ恐怖だ」などという意見があがったそうだ。気持ちは分かるが、そこまで感情的な発言を出してしまうのもどうかという気がする。
この乗念寺のある場所は、大津市が「大津市中心市街地活性化基本計画」で再生させようとしている寺町であると同時に、県庁所在地大津市の中心という都会でもある。
お寺とすれば、ウチは400年以上もここにいるのに・・・、と思いたくもなるだろう。しかし、ここはすでに都市型の住宅街、近所のみんなの顔が見える街ではなくなってしまった。お寺という以前にこの地域に住む人として、きちんと近所と付き合い、向き合ってきたのか、という点には疑問も感じる。
客観的に言ってしまえば、火葬技術が上がった現在、遺骨は無機的なカルシウムの塊となってしまっていて、不潔でもなければ臭いもない。そんな遺骨が近く建物の中に入っているという事実が、人々の生活に影響を与えることはないだろう。納骨堂に反対している人だっていつかは遺骨となってどこかに葬られるのだ。もう少し思いやりを持てはしないのだろうか。
近年では、保育所の建設に反対する住民が多くて保育所が作れない、という問題が首都圏の住宅街を中心に各所で起きている。
これも全く同じ問題であろう。周辺住民の無理解だ、と言ってしまえばそれまでだが、近所づきあいがなくなった今、周りはともかく自分さえ良ければいい、と考えるのは自然なことでもあるのだ。昔ならその土地の有力者に話をつければまとまる、ということもあっただろうが、今はそんなことは望めない。
知らないヤツが突然家に来て「俺のことわかってくれるよな!?!?」と叫んだって誰も納得はしてくれないのだ。
司法がこの根深い問題にどのような道を示してくれるのか、しばし注目したい。

たった10年の間ですが、お墓を持つ人、お寺さん、民間の墓地運営者など多くの方とお話しするにつけ、世の中のお墓事情は日に日にどんどん変わっていることを実感します。
誰もが同じような場所に同じような墓を建て、同じように子孫に引き継いでいく、そんな時代はもう終わりました。
「最近は先祖を敬う気持ちが薄れているのでは?先祖をもっと大切に。」というお寺や墓地の関係者の話も耳にします。
しかし、何より大切にしなければならないのは、今生きている人の人生です。
年を取った人が安心して余生を送ることができ、遺される人も安心して見送ることができる、お墓を通じて、そんな皆様の人生のお手伝いができればと思っております。


