田舎のお寺のお祭りが楽しかった ~新潟 妙光寺送り盆フェスティバルより

 夏休みも最終盤迎える8月最後の土曜日、新潟県角田山妙光寺では送り盆フェスティバルが行われる。

 送り盆は、お盆で現世に帰省した死者の霊たちをあの世に戻っていく日。妙光寺では「フェスティバル安穏 万灯のあかり」と題し、法要を兼ねて年に一度のお祭りをしているのだ。
 妙光寺の小川住職は、日本初の永代供養墓「安穏廟」を作った、業界では知らぬ人がいない程の有名人。住職がプロデュースする送り盆フェスティバルは、また一風変わっていて面白い。

体験イベント、終活相談、充実のイベント

 送り盆フェスティバルは今年で27回目、お坊さんカフェやお茶席が設けられるほか、木版刷りの体験、瞑想体験、ヨガ体験、妙光寺巡りなどの各種体験コーナーに、マジックショーやケーナ(南米アンデスの民族楽器)の演奏、また終活ノート体験、終活相談室といった終活関連コーナーなどイベントは盛りだくさん。お酒も飲める飲食コーナーやバザーをはじめ出店もあり、お祭り要素にも事欠かない。
 お昼からは、ゲストと小川住職などによるトークイベント「住職トーク」が開催され、200人近くの参加者が耳を傾けた。

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境内にはバザーが並ぶ

 住職トークでは、新潟を中心に活動しているフリーアナウンサーの伊勢みずほさんをゲストに迎え、「がんのち晴れ キャンサーズギフトという生き方」というテーマでトークショーが行われた。
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 伊勢さんは、一昨年36歳のときに乳がんが見つかり、現在も治療中。昨年2月にがんであることを自ら公表、以降本業の傍ら、がんや死と向き合った経験を伝える活動も行っている。
 「今の自分は、がんになる前よりもずっと幸せだとはっきり言い切れる。」「苦しみを自分一人で背負うことがどれだけ苦しいか、苦しみを表に出したこと、誰かに聞いてもらえたことでどれだけ気が楽になったか。他人に甘えてもいいんだということが分かった。」と明るく語っていらしたのが印象的だ。

お坊さんと触れ合える「花押ラリー」

 このフェスティバルで人気なのが「お坊さん花押(かおう)ラリー」。いわゆるスタンプラリーの要領なのだが、このイベントでお坊さんに出会って花押(お坊さん一人一人が持っているサイン)を書いてもらい、15個集めたら先着で景品がもらえるというもの。
 境内を歩いているお坊さんが突如参加者に呼び止められ数人に取り囲まれて花押を書く、という光景があちらこちらで繰り広げられているのが面白い。

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近づき難いと思っていたお坊さんも笑顔で花押を書いてくれる

 この花押ラリー、「お坊さんに話しかけたいがきっかけがない」という参加者の声を聞いた小川住職が花押ラリーを発案、昨年始めたところ思いのほか好評だったことから今年も開催されたのだそうだ。
 今年も人気で、早々に15個集める参加者も多数、子供達にとっても面白いようで、スタンプ帳片手にお坊さんに駆け寄る姿が愛らしい。

 送り盆フェスティバルには、妙光寺の小川住職をはじめ妙光寺のお坊さんが4人、その他は別の寺院のお坊さんが、北は青森、南は大分から合わせて17人参加している。17人は小川住職と懇意にしているお坊さんや日蓮宗布教研修所で研修しているお坊さんなど。住職に心酔し毎年参加されている方も少なくない。

送り盆法要でフェスティバルはクライマックスへ

 夕刻になると、送り盆法要が始まる。本堂でお経を上げたあと、僧侶達は灯篭がならんだ境内脇の小川に並ぶ。
 参加者も一緒に、ここで現世に戻っている霊達に祈りを捧げる。
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 法要は、今までのイベントとは一転、厳かな雰囲気となる。
 川岸に並ぶお坊さん達のお経が山に響き、霊たちは灯篭の火を頼りにあの世へ戻っていくのだ。

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夜の川に灯る灯篭は川面にも映って実に神秘的だ

フェスティバルでの人との出会い

 この送り盆フェスティバルだが、最初からこのような賑やかな会だったわけではないらしい。
 子供のころから参加しているという安穏会員のAさんによると、以前は送り盆法要と住職トークを行うくらいで、子供が来て楽しいようなものではなかったのだという。住職や檀徒さん達のアイデアと努力で、小さい町にありながらも毎年数百人を集めるイベントになったそうだ。

 特筆すべきなのは、このイベントは参加者が500人だが、それとは別にスタッフが100人以上も参加しているということ。
 そのスタッフはごく一部の妙光寺職員を除いては、みなボランティアなのだ。檀徒さん(妙光寺では家を単位とする檀家制度はやめており、個人個人が「檀徒」となっている。)や安穏会員が中心だが、その家族・親戚・友人、安穏廟の立ち上げに関わった仏教関係者、果ては取材に来て住職に惚れ込んだというテレビ局や新聞社の人など多士済々、色々な人が県内外から集まってイベントを手伝っている。
 中には何日も前から会場のセッティングなどを手伝ったという人もいるが、半分以上の人が前日から新潟入りし妙光寺近くで行われるスタッフ前夜祭に参加して友好を深め、当日に臨んでいる。

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当日朝、スタッフは客殿での打ち合わせを経てフェスティバルに臨む

 スタッフは、安穏会員でもある女性リーダーの元、各自担当業務を割り当てられる。ボランティアにもかかわらず、いや、ボランティアだからこそ、なのかも知れないが、嫌々働いているというようなスタッフはおらず、実に皆さん生き生きと動いている。会場のセッティングや撤収、数百はある灯篭の準備や点火作業といった重い作業も誰彼が何を言うでもなくあっという間に終わってしまう。

 何を隠そう筆者の私も、今回はスタッフとして参加させていただいた。以前に住職にインタビューに伺った縁で来たものの、知っている人は無論皆無。しかし、今回東京から初参加の何某が来る、という話はすでに主要スタッフは皆ご存知だったうえ、待ち時間も色々な人が話しかけてきてくれたりお茶を出してくれたりと、その歓迎ぶりに驚いた。

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フェスティバルの最後は来場者・スタッフ一緒になっての交流会
住職・檀徒総代らの勇壮な太鼓に合わせ自然に踊りの輪ができる。

 フェスティバルの途中「このフェスティバルは文化祭みたいなものですからね。」とふと安穏会員Bさんが口にしたとき、居合わせた他のスタッフも頷いていたのが印象的だった。
 みんな肩に変な力が入っていない。このイベントに自分が参加し、イベントを作り上げること、そして人と一緒にいることを心から楽しんでいるように見えた。
 ボランティアの仕事をきちんとやることだとかフェスティバルを成功させること、それどころかフェスティバルそのものさえも、彼らにとっては人生を楽しむ一つの手段にすぎないのかもしれない。

 お寺の檀家の数は年々速度を増して減っている。お寺と一般の人の交流など都会、特に住宅街ではほぼ絶滅している。そもそも、近所付き合いもないのだから致し方ないことだ。
 しかし、例えば「妙光寺」というスパイスがあれば、人は自然と集まり、人との交流を楽しむことができる。
 都会の人間も、「そんなものは昔のものだ、必要ない。」と見栄を切りつつも、心のどこかでこういうものを求めているのかも知れない、そんな一日だった。

担当:田辺直輝