【特別インタビュー】「安穏廟」建立から30年、跡継ぎ不要のお墓が起こした革命とは。- 角田山妙光寺 小川英爾住職 –

新潟県新潟市西蒲区、今でこそ政令指定都市であるが、元は西蒲原郡巻町、お世辞にも街とは言い難い田園風景の中にそびえる角田山、さらにその裏にそのお寺はあった。

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鎌倉時代に日蓮上人が佐渡配流の折、嵐で船が戻されたどり着き、そこに弟子がお寺を建てたのが始まりというから、もうその歴史は700年以上にもなる。
その歴史を物語る古い山門の先には、木肌が鮮やかな現代風というよりもモダンで洒脱な本堂が建っている。

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ここ妙光寺は、日本で最初といわれる永代供養墓が建てられたことで有名である。
今から25年以上も前、まだバブルの香りが色濃く残るご時世に、先進的な取り組みをしたのが現住職の小川英爾氏(63)。小川氏に、その信念と現代人が抱える問題について、お話を伺った。

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妙光寺 小川英爾住職

永代供養墓「安穏廟」の根底にある変わらぬ信念

「安穏廟」は、端的に言うと後継ぎがいない人でも入ることができるお墓。お墓の権利を購入した後は、年会費を支払っていれば個別のお墓を持ち続けることができる。年会費が払われなくなったときは、そこから13年後、お骨は合葬墓に改葬されお寺が続く限りお寺によって供養される。
今でこそ一般的になりつつあるシステムだが、安穏廟設立時はかなり画期的なシステムだった。これを世に送り出した小川住職には、変わらぬ信念があるという。
「いかに生きている人たちに安心感を与えられるか。楽しく生きてもらえるか。」
安穏廟建立の一端となったのは、ある女性が子がなかったのだが、行く先々のお寺で後継がいないならお墓は売れないと言われ途方に暮れているという相談を受けたことだそうだ。
安心して死ねるようにと導かなければいけないはずのお寺が、不安や心配で死ぬこともできないという状況を作り出していることは果たして正しいのだろうか。疑問を抱いた住職は、一念発起し、後継がいなくてもよい、というお墓を作ることを決意する。お墓を作るにあたってはお金が必要だが、その調達にも大変ご苦労されたそうだ。一住職に銀行は融資をしてくれなかったため、檀徒からお金を集めてお墓が売れたらお金を払い戻すという方法を考え付くも、出資法に抵触するおそれがあるとのことで断念、最終的にはお寺の役員が借りるという形でなんとかお金を調達した。

また、その販売についても、そんな墓が売れるはずがない、と周りからさんざん言われ、ご自身もそれほど売れないだろうと踏んでいたご住職は、妙光寺でイベントを行い、人に知ってもらうことにしたのである。これまた当時としては斬新であった「死について考える」イベントは、NHKに2日間特集されるなど世の注目を集め、第1期安穏廟は予想を遥かに上回る早さで売り切れてしまったのだそうだ。

そのアイデアといい、行動力といい、語り口は非常に穏やかではあるが、
何せ檀徒の管理にはシステムを早くから取り入れ、現在はクラウドサーバーとセールスフォースを使っているというのだから恐れ入る。しかもセールスフォース導入前でさえ、自前のサーバーとシステムを持っていたそうだ。

また、安穏廟は、墓地使用料を元手にした「安穏基金」という基金の運用益により、維持管理費用をまかなっているそうだ。「お金の運用」という、清貧なイメージのお寺とは一見対極にあるもの、しかしそれも、小川住職は「安穏廟をこの先永く続けていくため、そして安穏廟に入る人に安心してもらうため」と言う。かつては国債を買っていればそれなりの運用益が得られたものの、リーマンショックや近年の金利安などで運用は楽ではないそうだ。それでも「リーマンショックも乗り切ることができた。基金がなくなるときは世界経済がダメになったときかな。」と事も無げに話された。
安穏廟を長く続けるという目的のために、ただただ最善の手段を選ぶ、冷静で大胆な選択もまた、小川住職の優れた決断力を際立たせている。

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Amazonお坊さん便問題と現代

最後に、最近世間を騒がせている、Amazon(みんれび)のお坊さん便についてどうお考えかを伺った。
小川住職は、まず賛成反対云々よりも、何がこのような事態を引き起こしているのか、根本的な問題を解決しない限り、表面的に反対しても仕方がないとおっしゃっていた。
お経については、「お経を読むこと」だけに価値があるわけではないので、そこを形だけ追っても仕方がないのだという。
妙光寺では、お葬式や法要を上げることも可能だが、それは檀徒になることが条件なのだそうだ。なぜなら、お寺や住職の考えに共感したうえでそういった儀式をすることに意味があるから。形だけ追っても意味がないし、形だけを追ってお金を払いもらうような関係はお互いを不幸にするだけ。

そのうえで、お布施を定額とすることには反対だという。それは、お布施としてたくさん払いたい人もいれば、お金がなくてどうしても大きなお金を用意できない人もいる。お寺として、お金がない人を見捨てるということはできないし、少ないお金でもその人にとっては大きいお金

対価ではなく気持ちだからだ。そういった関係の中で、お寺と檀徒が持ちつ持たれつやっていくということだろう。

妙光寺の山門
妙光寺の山門 数百年の風雪に耐え、今は文化財に指定されている

おわりに…

妙光寺のあり方は、日本に1000年以上も根付いてきた仏教・お寺という文化と、いろいろな生活のシステムが発達しもはや宗教を必要としていない現代文明とが調和して新たな価値を作り出す、一つの絶妙な解を示しているように思える。
新しい良いものはどんどん取り入れる、その中で、古くからの良い伝統・先人の教えを忘れない、そういう人間社会のありかたの一つを見た気がした.

※小川住職は、お忙しい身であったにもかかわらず、予定よりかなり長い時間を割いてお話をしてくださった。ここに書き残したことはまだまだ多いが、追々記事に起こしていきたいと思う。